拙著『中越地震被災地研究からの提言』を,ようやく出すことができました.

若干の裏話をば.

若干の裏話をば.
私はこれを出せて,今までインタビューをさせていただいた方に,ようやく恩返しが(多少とも)できたという思いでいっぱいです.
私がやろうとしていたことは,中越地震の復旧・復興の記述研究ではありませんでした.むしろ,「一般的に」震災の復旧・復興においてネットワークはどう変化するのかということに関心がありました.ですので,私はインタビューにいく先々で,「みなさんにお返しできることはありません」が「今度何か大きな地震が起きたら,役立たせたいただきます」とお断りを入れつつ,お話を聞かせてもらっていました.一度だけという方もいましたが,数年にわたり,何度もという方もいました.
昨年くらいから,ひとまず中越での研究は一段落し,私は次の研究へと舵を切り始めていました.私は自己認識としては,社会ネットワークの研究者であり,災害社会学の研究者ではないと思っていましたから,ネットワークの観点から,別の研究課題に取り組もうとすること自体は自然な流れのように思っていました.
しかし,その矢先に東日本大震災が起こったのです.今,やりかけた研究があるのだけど....とりあえずそれは一時中断.インタビューに答えていただいた人たちとの約束をきちんと守るためにも,自分の知りうる範囲でいいから,一般的に,しかし具体的に,速やかに研究成果を還元すべきときが来たなと思いました.
とても,これで十分という内容ではないと思います.何人もの共同研究ではなく,あくまでも私一人でやっていた仕事ですから,包括性という意味ではきわめて限定的であると言わざるをえないと思います.しかしそれでも,あえてこれだけは出そうと思いました.
東日本大震災から数日後,社会学者たちは次々に考えを述べ始めていました.主として政府に対して.しかし,意外にも,社会学者が被災した人々一人一人に呼びかけることは,ほとんどなかったのです.せいぜい,(直接にはあまり関係ありませんが)「買い占めはやめましょう」といったようなことばかり.被災者一人一人に対して何でこんなに社会学者は無力なのかと.そして,私ははたと気づいたのです.社会学的な研究をもとにして,被災した一人一人,そしてコミュニティを対象とした本はほとんどないのだと.そういった本を書くことが自分に課せられた使命ではないかと思い始めました.被災者は,以前の被災者からサバイブするためのノウハウを何も伝えられておらず,いつも一から被災者であることを繰り返し,そしていつも同じ落とし穴で繰り返し失敗するのだと.東日本大震災の規模は大きく,中越地震の経験が直接役立たないこともあるかもしれません.しかし,中越地震でのノウハウの記録を残しておきさえすれば,それをベースにして考えてもらうことはできるのではないかと思いました.それが,直接的な中越でお世話になった人々への感謝の表し方ではないかと.社会学者には,こんなものは社会学ではないという批判は浴びるだろうと想像しています.しかし,今回はそれでもよいと思っています.社会学者としてのリベンジはまた別の機会にでもしたいと思います.
ところで,書き始めてすぐに思いました.これは,私の師である髙坂健次先生が「ミドルマンのすすめ」(髙坂,2000)で素描されたミドルマンの仕事そのものではないかと.ミドルマンとは,社会学者とクライアント(一般の人々)との橋渡しをする存在とされています.その仕事の一部は,社会学の知見を一般の人々の実践に使える形に翻訳することです.今回の場合には,中越地震研究で得られた知見を一般の人々にわかりやすい提言という形にすることです.「ミドルマン」という言葉を作ったのはラザーズフェルドのようですが,彼はミドルマンを1つの独立した職業であると考えていたようです.社会学者とクライアント,クライアントと社会学者との間を行ったり来たりして架橋することは,1つの職業として成り立つほど難しいということのようです.逆に言えば,そんなに難しいことだから,特定の領域においてはそのような存在がいなかったということもあるでしょう.それが今回十分にできたかどうかについては,正直なところあまり自信はありません.何せミドルマンとしては習作ですから.しかし,ここは謙虚に東日本大震災の被災地での評価を伺ってみたいと思っています.社会学者としては具体的にしたつもりでも,現場では抽象的すぎて使い物にならないという評価もありうると思うからです.ここはまな板の上に乗って,いつ切られてもというつもりで臨みたいと思っています.
ともあれ,私としては,これで中越地震の被災地でインタビューを受けて下さった方々に何とか恩返しすることができたのではないと思っています.最後に栃尾の人々に重ね重ねお礼を申し上げます.
