2.4.社会記事の最近のブログ記事

 私は,中越地震被災地で復旧・復興の研究を行ってきた社会学者です.ここでは,社会学的な研究というよりも,取材の中から被災地の住民の方が陥りがちな問題を指摘して,少しでもお役に立ててもらおうという主旨で提言を行っています.

<被災地在住の方々へ>
住宅の修理について(3月21日1:04記)
 3月11日の大震災から1週間以上が経ちました.地震直後の着の身着のままの避難生活から,次第に今後のことを考える段階に入ります.

 現時点では,テレビが伝えているのは,主に,原発の事故と津波に襲われた地域の避難生活についてです.しかし,津波の被害を受けなかった内陸部では,おそらく中越地震のころと同様,住宅を修理するのか,建て直すのか,行政からの資金援助にはどのようなものがあるのか,などと考え始めているころだと思います.
 ここで知っておいてもらいたいことの1つは,被害の程度によって,後々さまざまな支援の程度が違ってくるということです.行政が発行する「罹災(りさい)証明書」が「全壊」なのか「半壊」なのか「一部損壊」なのかは,大きな違いをもたらす可能性があるのです.自分でいくら被害の大きさを主張しても,聞き入れられることはないと考えてください.

 この時期に重要なことは,行政から「全壊」「半壊」「一部損壊」などの判定に来る前には,なるべく修理を「しない」ということです.特に,全壊と半壊の間くらいになるのではないかと思われるが,ともかく修理すれば住めるような住宅にお住まいの場合,早く修理して早く元の生活に戻りたいとお考えになるのは,当然のことかと思います.農村部には,ふだんから土木工事を自分でやれるだけの技術を持っておられる方がけっこういるので,被害を受けた自分の住宅についても「できることは自分でやる」とばかりに,修理ができるところは,どんどん自分でやろうとする人がいるのです.
 しかし,行政から判定員が来る前に修理をしてしまうと,「住宅の被害はあまりない」と判定されてしまうことがあり,一段階ほど軽い判定になってしまうことがあるようです.はやる気持ちは少し抑えて,判定員が判定を終えるまでは,自らの手による修理はお待ちになった方がよいと思います.


応急仮設住宅への入居申し込みについて(4月4日18:33記)
 現在,被災地各地で着々と応急仮設住宅(以下,仮設住宅)が建設されているようです.
 しかし,みなさんご存知でしょうか.1.仮設住宅に入居するか,2.自宅の補修をするために被災者住宅応急修理制度(以下,応急修理制度)を利用するかは,どちらか一方です.両方というわけにいかないのでご注意ください.
 実際,中越地震の時でも,一旦仮設住宅に申し込んだものの,応急修理制度を使えないことがわかって取り下げたケースが多々ありました.市町村の役所・役場,あるいはウェブサイトなどでご確認ください.

 今回は,4月4日時点で河北新報が報ずるところによれば(http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110404t11025.htm),今回の地震災害について各市町村からの住宅応急修理制度の限度額は52万円とのことです.
 仮設住宅に入っても応急修理制度を使っても,被災者生活再建支援制度は利用することができます.
 同じ記事では,被災者生活再建支援制度は,住宅の被害程度や世帯人数に応じ,被災者に112万5000円~200万円が現金で支給されるとのことです.
 おそらく,東北地方一帯では,これと同じあるいはこれに準ずるのだと思われます.

 一方,新潟県では県単制度を実施しており,国と新潟県から,次の額が出ます(限度額).(http://www.pref.niigata.lg.jp/bosaikikaku/1301000503660.htmlより抜粋)

(図の全体が表示されない場合は,上図をクリックしてください.)

 このように,自治体によって対応は違います.
 インターネット時代になって,自分の市町村の情報も別の市町村の情報も得られますが,自分の市町村の情報を確認してください.

 実は,もっと重要なことは,今後どのようにして自宅と生活を再建していくかの道筋の判断を,「今」迫られているということです.まだ落ち着かない生活をされている方も多いと思いますが,焦らずに落ち着いて,しかし仮設住宅の応募締切をにらみつつ,今後のことについて考えてみてください

 私は,新潟県中越地震について震災復旧・復興を社会学的に研究してきました.被災地においてインタビューなどを行ってきた内容から提言などをしています.ここでは,地震発生後数日経過した頃から生じる問題について,包括的ではありませんが,重要な点について五月雨式に記していきます.非常に気の重い話もありますが,お許しください.

<被災地在住の方々へ>
盗難について(3月19日17:33記)
 地震発生から数日経つころから,盗難が起こり始めます.私の中越地震の時のインタビューでも言及されたことがありますし,災害研究では一般に知られていることなのですが,略奪や放火といった問題が起こってくるのです(高梨,2007).

 例えば,避難所において,知らぬ間にそれまであったはずのものがなくなっている.そして,それが一回だけではなく何度も起こるのです.日中は高齢者など以外は外に出ていきます.その隙を狙って盗難に入る人が多いようです.
 避難所にそんなに簡単に見ず知らずの人が出入りできるのかというと,意外に簡単です.救援物資を持ってくる人や行政の人など,ふつうに出入りします.それに紛れて盗難目的の人が入ってくることは難しいことではありません.そういった人が,目についたものをさっと持っていくということは十分にありうるわけです.
 もっと手が込んでくると,「ここの避難所の○○さんから,××を持ってくるようにと頼まれた」というようなことを言って,○○さんの居場所を教えてもらい,堂々と物色するという輩もあるそうです.

 こういった問題について,どう解決すればよいでしょうか.まず,避難所では,次第に自分の場所(居場所)が定位置として決まってきます.そして,夜はそこに布団を敷き,昼間は布団をたたんで積んでおくというような生活になります.これを利用します.積まれた布団の中で取り出しにくい位置,すなわち,下の方に大事な物は挟んでおくとか,積まれた布団全体を大きなシーツなどで全体を覆っておくようにするのです.物色する側からすれば,さっと目につくものくらいしか盗りにくいからです.いずれにせよ,「よいものを目に付くような場所に置かない」ように工夫してみてください.
 また,「ここの避難所の○○さんから,××を持ってくるようにと頼まれた」という形の依頼については,身分証の提示を求めて,しっかりと控えるといったやり方が有効ではないでしょうか.

「あれがない,これがない」とあまり言わないで(3月20日14:33記)
 地震から1週間が経ち,不便で苦しいながらも,避難所の生活に慣れてくる時期でもあります.この時期になると,「食べるものがいつも同じだ.もうちょっと違うものが食べたい」など,「あれがない,これがない」と思うようになってきます.
 ひとまず命だけは助かってよかったと思える段階は過ぎ,最小限度ではあるが食料もあることがわかってきた....しかしその一方で,「もとの生活水準を思えばまだまだだ.いずれ,もとの生活水準まで戻りたい」という気持ちも出てくる.それがこの時期でもあります.
 現実はどうかというと,現実にはまだ避難所(特に,県外などに避難していない場合)には十分な物資もないという状態です.
 この時期は,まだ「最低限度の食料があるだけよかった」と考える段階にある人と,「早くもとの生活水準まで戻りたい」と考える段階にある人とが混在しています.後者は,「あれがない,これがない」と,つい言葉に発してしまいがちです.しかし,これは,「最低限度の食料があるだけよかった」と考えている人には,何と強欲な人だと映ってしまい,イライラさせてしまうことがあります.それで口論になってしまうこともあるようです.まだ,いろいろなものが足りないことは分かっている.それは誰にでも分かる.でも,今はこれしかない.ですから,どうしても「あれがない,これがない」と言いたい場合は,人のいないところにでも行って叫んでください.でも,人のいるところではなるべく「ない,ない」と言わないようにしてください.
 中越地震のときのインタビューでも「人の本性を見た」というような発言が何度も聞かれました.そのうちの初期の頃のものが,この時期のものです.
 これから先,復旧・復興には長い道のりがあります.農村・漁村では,特に協力関係が重要です.ここで相互不信の状態になることは好ましくありません.

<電力会社(特に東京電力)の方々へ>(3/16記,3/18追記と修正)
 (計画停電開始3日目における提言)
 計画停電が始まって3日経ちました.改めてここまでの問題点を振り返り,今後どうすべきかについて提言したいと思います.

計画停電にともなう問題のうち,私が特に指摘したいのは,次の4点です.

1.交通,とくに鉄道について,首都圏の線路を始め施設はほとんど復旧しているのだと思います.しかしながら,計画停電のため,変電所への送電がその時間帯に止まるため,本数の減少や運休などが続いています.

2.計画停電はブロックごとに行われていますが,ブロックごとに毎日停電の時間が違ううえ,停電の時間帯もかなり間際になってから決定されています.これでは,鉄道はもとより誰もが計画的に行動することができません.

3.これら1と2が連鎖的に招くのは,都市機能全体の大きな低下です.

4.原発事故にともなって電力の総量が減っているのは分かりますが,これによって首都圏の都市機能が低下することは,輸送力の低下をはじめとして,日本経済への大きな打撃となります.これでは,大震災の被災地の復旧・復興は遅れ,より深刻な事態を引き起こします.

では,どうすればよいのでしょうか.
電力の総量が低下していることは分かりますので,全てが以前のとおりとはいかないことも分かります.しかし,低下の程度をなるべく小さく抑えるためにはどうすればよいかです.

1.交通,特に鉄道を計画停電の対象から外すこと.少しずつ緩和が進んでいるようでもありますが,まだまだです.

2.毎日毎日ブロックごとに停電の時間帯を変えるのではなく,一定期間(たとえば1週間)同じ時間帯とすること.そうすることで,その1週間は計画的に行動することができます.そして,次の1週間についての停電の時間帯を1週間前に告知すること.これによって,次の1週間についても備えることができます.

3.可能であれば,私は計画停電よりも総量規制の方がよいのではないかと思います.これは,経済同友会の桜井氏も同じ見解を示しています.それは,特定の時間帯に電気が一切使えなくなるよりは,供給量を全体的に減らしていく方が,さまざまな点で効率がよいと思われるからです.

3-1.計画停電の最初の3日間,人々の電力消費への意識が高まり,省エネ行動を取ることが実際に可能であることが分かってきました.ちょっとした心がけを継続的に続けていくことはできるということです.
 計画停電は,ある意味では,ちょっとした心がけをしているのに,罰を与えられるようなもので,不愉快です.総量規制の方が,ちょっとした心がけをすることに意味があるのだということを人々は納得しやすいはずです.

3-2.日々(あるいは一定期間ごとに)鉄道の時間帯が変化するよりは,生活者としては生活しやすいですし,鉄道会社も一日の本数を全体的に減らす(ダイヤの見直し)などする中で,より安定的・計画的な運行ができるでしょう.ただし,本数の削減は,朝晩のラッシュなどをよりシビアなものにするでしょう.これまででも首都圏近郊の朝晩のラッシュは相当にひどいので,乗客が怪我をしたりする可能性は高くなるでしょう.
 したがって,もちろんここでも,鉄道に対する総量規制は,ない方が列車の本数も原状並みの本数に保てるのでよいでしょう.

以下,3/18追記
「総量規制」に対しては,問題点も指摘されています.

 総量規制になると,「誰かが節電してくれさえいれば,自分は使ってよい」と考える人が出てくるので,結果的に総量規制はうまくいかない,というものです.

 しかしながら,今回の場合は,「脅し」が使える状態であると考えられます.「もし,総量規制がうまくいかなかったら,計画停電にもどすぞ」という脅しです.計画停電の不便さを味わっていますから,「あの状態に戻るよりは,自ら少しずつでも節電する方がマシだ」と考えて,継続的に節電をしてもらえると考えられます.そして実際に,節電量が減ってきたら(従来どおりの電力消費量に戻ってきたら),計画停電を再度実行するという方法を取ることができます.したがって,電力の総量規制は,なお有効であると考えられます.

以下,3/18修正箇所のまとめ
 拠点病院にかかわる記述があったものを削除しました.
 3/14に記した記述全体を削除しました.

 3月11日に起こった未曾有の大震災のあと,非被災地では若干落ち着きを取り戻してきたかのように感じられます.しかし一方で,非被災地に特有の,よく考えてみると非常におかしな行動が現れてきています.おかしな行動というのは,単に笑い話くらいならよいのですが,有害なものもありますので,そういった行動を少しでも抑えたいと考え,提言としてまとめました.

【提言1】食料品の買い占めは控えましょう.
(提言1の理由など)
 例えば米について考えてみましょう.昨年度の米の収穫高は平年並みでした.例年,平年並みに収穫できれば,米不足でパニックになることなんてありませんよね.
 被災地で米不足となるのは,そのときに米を買う必要がある人の分しか仕入れをしていないからです.また,震災で補給路を断たれると,今ある分しか供給できなくなるので米不足となってしまうのです.
 しかし,非被災地で米不足となることはあるのでしょうか.昨年,平年並みに収穫できているのですから問題ありません.非被災地のお店から米が消えてしまうのは,米不足だと早とちりした人が買い占めようとしたからというだけなのです.
 ふだんの流通量は一定ですから,急に買い占めをすることは想定されていません.ですので,そういう行為は,他の人や流通業の人に迷惑をかけることになるだけです.
 今買い占めて,数ヶ月後に数ヶ月前のお米を食べるよりは,数ヶ月後にそのとき精米したお米を買って食べる方がずっとおいしいですよ.
 他の食料品についても同じようなものです.輸入されているものも含め,多少の増減はあるにせよ,ほぼ例年並みに推移しています.心配する必要はありません.
 中にはトイレットペーパーを買い占める人もいるらしいですね(笑).オイルショックか何かと勘違いしているんでしょうか.全く論理のかけらもありませんね.


【提言2】ガソリンを買いだめするのは控えましょう.
(提言2の理由など)
 これも備蓄はまだ十分にあるとのことですから,上の米の例と同じです.
 それよりも,ライド・シェアリングについて考えてみませんか.ライド・シェアリングとは,乗り合いという意味です.あなたが買い物など日常的に行く場所は,近所の人や同じマンションに住む人も,日常的に行く場所です.そうであれば,近所の人同士が車に乗り合いをすることによって,ガソリンの消費量を減らせますから,ガソリンを入れる回数も少なくてすみます.
 都会住まいの人は,ライド・シェアリングができるような親しい近所の人がいないということは事実でしょう.そこで,自治会・町内会やマンションの管理組合が音頭を取って,ライド・シェアリングを呼びかけてみてはどうでしょうか.男性は,毎日通勤で,うちには寝に帰るだけというような人も多いでしょう.しかし,女性の方は,子ども同士の関係から生じる女性同士の関係があることが多いので,むしろ,女性がママ友同士でライド・シェアリングの仕組みを作ってみられてはいかがでしょうか.2人でライド・シェアリングすれば,ガソリンの消費量は(やや単純化していますが)1/2,3人ならば1/3ですよ.これをみんなでやったら,「エコ」という観点からもすごく効果がありますよ.
 ご近所でライド・シェアリングの仕組みを作ることは,近所の人同士の関係を作り出す効果も期待できます.もし今後,震災などが発生した場合に,近所に知り合いのいない状態よりも,いる状態の方が,復旧・復興において役立つことは言うまでもありません.


 ところで,こんなふうに言っても,それは分かるけれども,でも,自分1人くらいは買い占めても大丈夫だよね,と思った人はいませんか.
 確かにもしそういうふうに考える人があなた1人だったら,まあそれほど影響はないかもしれません.
 しかし,そういうことを実は多くの人が考えたとしたらどうでしょうか.そう,それではやっぱりあちこちで物不足になってしまうでしょう.(これを,専門的には「社会的ジレンマ」といいます.)
 そういうことを考えてしまう人ややってしまう人は,厳しい言い方をすれば「エゴイスト」だということです.「あなたはエゴイストだ」と言われて気持ちよい人はいないと思いますが,実際のその人の考えや行動は,そういうものだと思いませんか.

 あなたが買い占めて,括弧付きですが「豊かな」生活をおくる一方で,被災地の人たちが,少ない食糧や少ないガソリンを分け合って非常にひもじい思いをしていることについてどう思いますか.そんな生き方は「豊かな」生き方なのでしょうか.
 通常時であれば,たくさん物があって,たくさん消費することで豊かさが感じられるかもしれません.私もそのような生き方を否定するものではありません.しかし,今は非常時なのです.みんなで協力しあって,冷静に考えて,お互いに迷惑を掛け合うような行動をやめようではありませんか.

 被災地に安否確認して,自分の親や親戚が無事だったらそれでおしまいでしょうか.被災地で続いている苦しい生活を思い,あなただけがのうのうと物欲のままに振る舞って暮らすことがいかに恥ずかしいことか,考えてみてほしいと思います.

 私は,新潟県中越地震について震災復旧・復興を社会学的に研究してきました.3月11日,東北地方から関東地方にかけて,また,長野県・新潟県においても未曾有の震災が発生しました.今こそ,私がインタビューなどで聞いたことや,調査票調査(いわゆるアンケート調査)の統計分析でわかった科学的知見などをふまえて,何か提言すべきではないかと考えました.もちろん,科学的知見そのものだけではなく,そこから類推して書くこともあるし,どのような正義論を採用すべきかといったことを考えながら書くこともあると思います.それをふまえてお読みください.中には,被災地の方々に対して,かなり厳しいことを言うこともあるかもしれません.また,ツイッターでは,簡潔に書くことを旨としていますが,ここでは,やや詳しく書こうと思います.(記事開始:3/13 23:23,最終更新:3/16 14:57
 
<被災地在住の方々へ>
 (地震発生時点における提言)
1.いま大切なことは,「必要」と「平等」です.救援物資が届き始めると,自分や家族に少しでも多くの救援物資が欲しいと思われるでしょう.しかし,まずはそれを最も必要としている人に,そして次に,少なくとも平等に分配するようにしてください.

2.自分の欲求を出し過ぎたり,集落内の関係を悪くしたりするような言葉と行動は極力つつしんでください.いま集落内の関係を悪くしてしまうと,復旧・復興段階で集落内の協力関係がうまくいかなくなります.農村・漁村では,集落内の協力関係なしに復興はありえません.

3.区長さんやリーダーを中心にまとまった行動をしてください.区長さんが不在の場合は,至急,副区長の方を区長として昇格させるなど,中心となる人を決め,その人のもとに行動をしてください.

(提言の理由など)
1.この世の中には,誰もが絶対に正しいと認めるような分配の仕方はありません.しかし,こと,震災直後ということに限定して考えれば,「必要原理」と「平等原理」に基づいて考えていく必要があるのではないかと思います.物資等は少なく限度があり,避難所や地域住民にとって十分なものではないでしょう.だからこそ,それを腕っ節の強さでもって強奪するようなやり方はよくありません.おなかがすいているのは,特定の個人だけではなくそこにいる人全員です.平等に分けるということが必要かと思います.しかしながら,特定の物資については,特にそれを必要としている人がいるかもしれません.その場合には,その人にその物資を特にその人に優先的に分けてあげてほしいのです.

2.地震発生後,しばらくするとストレスがたまってきて,ついつい感情的な言葉を発してしまったりするものです.しかし,人に対して面と向かってきつい言葉を発すると,それはその人との関係を悪くしてしまうかもしれません.ふだんは許容の範囲であっても,緊急時には許容の範囲を越えてしまうこともありえます.また,自分や自分の家族のために,少ない物資に対して過度な要求をしたりすると,それは物資の奪い合いのような状態になってしまいます.それでは,それまで培われてきた村のまとまり(協力)が崩壊してしまうことにもなりかねません.農村や漁村では,人々がまとまっていることが重要です.そのようなまとまりをなくしてしまうと,その後,村を復旧・復興させていくことが難しくなります.
 実際,中越地震でも,「人間関係が悪くなった」という人々がかなりたくさんあったことを隠さず述べておきましょう.マスコミは「良き日本人像」を放送しようとしますが,それはマスコミが隠しているか取材がいい加減かのどちらかです.あちこちでトラブルは起きていました.事実,調査票調査(アンケート調査)をやっても,地震を経て集落のまとまりが以前よりも良くなったと感じている人は多くありません.トラブルが起こるのがむしろ普通のようです.しかし,トラブルは最小限度にしてもらいたいと思います.非常時おけるトラブルは,感情が高ぶっているときにはマイナスの結果しか生みません.お互いに注意しあって,過度な欲求や不愉快な言動は避けてください.

3.住民を束ねていくために,また,情報を集約して行政に伝えたりするために,区長の役割は重要です.平常時以上に重要になります.仕事量は圧倒的に増えます.体力的にも精神的にもたいへんだと思いますが,区長さんにはがんばってもらいたいと思います.住民間の関係を良好に保つためにも,区長さんのリーダーとしての活躍が必要です.区長さんが病弱だったりする場合には,この際,若手の方で人望のある方を区長にするのもよいかもしれません.それほど非常時の区長の役割は重要です.また,区長さんが行方不明になってしまっていたりする場合には,副区長の方を区長に昇格させるなどして,区長を立ててください.副区長というのと区長というのでは,住民の統括に差が出てくるようです.


<避難所で救援に当たっている方々へ>
 (地震発生時点における提言)
1.避難所の名簿はできていますか.最も必要な人は誰かを知るために,公平に物資を分配するために,名簿は作りましょう.もらう,もらえない,もらいすぎる,というのは,避難所の雰囲気を大きく左右します.

2.避難所に避難所以外からも物資をもらいに来る人がいます.何回目の分配でどの人に渡したかを把握するようにしましょう.これも公平性のためです.

3.トイレが確保できないところでは,女性が安心して用を足せる場所を確保してください.また,その場所へ行くときには,女性複数人で行くようにしましょう.

(提言の理由)
1&2.マスコミが隠しているか取材がいい加減かのどちらかですが,避難所ではトラブルがあったり,不満が渦巻いているものです.私が上の1,2を提言するのは,実際に一部に公平分配のルールを犯すような人がいるからです.たとえば,物資を受け取るのに,何度も列に並ぶ人や,夜陰に紛れて他人のものを盗むような人です.あまり過敏になりすぎるのも関係をぎくしゃくさせますが,避難所で救援に当たる人たちができることとしては,名簿を作り,誰に何を分けたかを記録することです.また,避難所に物資が届けられることから,避難所には生活していないが物資だけもらいに来る人もいます.避難所内の名簿を作ることは比較的簡単ですが,外部の人を記録するのはたいへんです.区長さんから名簿を提供してもらうなどすれば,外部の人の名簿を作ることも可能なことだと思います.
 これは手間なことですが,「あの人はたくさんもらっている」とか「知らないうちにものがなくなっている」といったことは,避難所や集落の雰囲気を悪くします.残念ながら,少数ではあれ,そういう人たちは一定の割合でいるものだと考えておいた方がよいでしょう.そのような意味でも,名簿を作成することをお薦めしたいと思います.

3.男性は立ちションもありえますが,女性にはそれは酷でしょう.また,夜などは灯りのない中では複数人で連れ立って仮設のトイレに行くようにしましょう.


<地方自治体首長の方々へ>

 (地震発生時点における提言)
1.「うちの被害は大きくない」と安易に言わないでください.それは,単に注目されなくなるばかりか,その後の国などからの支援の大きさに関わってきます.

2.特定の地域は,前回の選挙であなたへの投票が少なかったかもしれません.しかし,それでその地域を軽視するようなことをしてはなりません.

(提言の理由など)
1.中越地震の時に山古志村がマスコミに大きく取り上げられた一方で,とある市については,あまり取り上げられませんでした.これは,当時のその市の市長が,ざっと支持基盤に近い集落のみを見て回り「うちは大丈夫」と言ったために,山古志村には多くの物資が行った一方で,その市では物資の量が不足してしまったということもあります.また,当初は,国からの人的・資金的支援も少なくなってしまって,未だにそのことに恨みを持つ住民もいます.市町村長は「くまなく」自分の市町村を見て回ってから被害状況の判断をするようにしてください.

2.実は上の1であげたことのそもそもの理由は,当時の市長が,どうも直前の市長選で,他の候補を推していた集落のことをきちんと視察して回らなかったことにあったようです.市町村長になった以上,支持基盤の住民と同様,必ずしも支持基盤ではなかった住民も平等に接するべきです.好きとか嫌いとかいう問題ではありません.


<在米留学生の方々へ>
 (地震発生時点における提言)
1.アメリカ在住の留学生の方で「このままでは資金繰りが危ない」と感じられる方へ.まずは,大学内の身近なオフィスに問い合わせを.阪神大震災で実家が被災 した時,私の留学先の大学院オフィスは3~4クオーター分の授業料減免などをしてくれましたよ.ともかく早めにご相談を.

2.アメリカ在住の大学院留学生の方で「このままでは資金繰りが危ない」と感じられる方へ.焦って早く学位が取れる道を探りたくなる気持ちは分かりますが,一方で「学問に王道はなし」です.私はそれで失敗しました.気分は滅入るけれども,しっかりと歩んでください.応援しています.

 最近,新書版で,和製英語や,日本人の英語の癖について取り上げるものが多くなっている気がする.これらは,先日立ち寄った書店で見つけたものを,あまり吟味することなく買ったものである.

 留学を経験した私であるが,常々,専門の論文の英語よりも,日常の英語の方がずっと難しいと思っていた.問題は,英語にもあるニュアンスである.ここで取り上げた2冊は,いずれもそういった点について,具体的な例を挙げてニュアンスを解説してくれる.受験英語では到底学べない内容である.こういった本がもっと早くからあれば,留学中のさまざまな行き違いも避けられたことがあったかもしれない.実際,文法が間違ってはいないはずなのに,けげんな顔をされたりすることが,留学当初はしょっちゅうあった.本書を読むと,「ああ,そういえば,こういう言い方をしたときに,変な顔をされたなぁ」と思うことが多かった.その意味で,これらの本の内容は,私が数年間留学をしていて現場で学んできたものとほぼ同じで,かなりの部分は首肯できるものであった.海外に出て行く予定のある人などは,持っておいて損はない.全体的には,よく書けているという印象であった.

 いくつか注文をつけるとすれば,同じフレーズでもイントネーションに注意せよといったことが書いてあるところが結構あるのだが,実はそれをイメージできるかどうかは,結構難しいかもしれない.私も留学していたから,ああじゃなくてこうなんだよな,と想像できるのだが,ただ「注意せよ」だけでは,注意のしようがないのではないだろうか.願わくは,CD-ROM付きの方がよかったと思う.ただ,新書版という制約上,これは無理なのかもしれない.
 それから,シチュエーションは一応説明されてはいるし,全体としては書き言葉より話し言葉について書かれているのだが,書き言葉として利用可能かどうかといった指摘があってもよかったかもしれない.誤ってそのとおり書き言葉で書いてしまうと,意味不明とかいうものもある.
 またシチュエーションについて言えば,たとえば愛の告白のフレーズなんてのもあったが,このあたりになると,日本人だってそうだが,かなり好みがあるものである.著者2人の年代も気になるところである.私の感じたところでは,推奨されているフレーズは,少なくともティーンエイジャー向きではなさそうだし,やや無難すぎるかな,やや内向的すぎるかなといった感じがした.

 たぶん,こういった本はどれもそうだと思うが,実際には,紹介されているフレーズを参考にしながら,実際には自分で実際の状況に合わせて変化をつけていかなければならないのだと思う.スタンダードはあくまでもスタンダードなのである.(もっとも,スタンダードとは何かといった議論もありえるが,私は英語の専門家ではないので,そのあたりはパスしたい.しかし,留学経験があるので,ある程度のスタンダード「らしさ」はわかっているつもりである.)
 自分が好ましいと思う自己像のとおりに英語でも自己表現したいとすれば,ものの言い方とそのニュアンスについて無関心ではいられないだろう.これらの本で予習した上で,見せたい自分のとおりに表現するにはスタンダードからどのように味付けするのがよいかを考えてみるのも面白いと思う.ただ,そういったことは,実際に現地で手探りをしてみて,相手からの反応を見ないとわからないものだとは思う.
 いずれにしても,こういったテーマは,意外にも難しくも興味深い問題の一端を表しているように思われた.

6月末から7月初旬にかけてイタリアに行ってきたが,その中で,日本の過疎地域の公共交通の参考となるかもしれないものを見たので,記録にとどめておきたい.
それは,コンテナ1つを引っ張っていた公共のバスであった.

日本の過疎地域は,採算が取れないので,バスなどの公共交通が撤退していくというのが,よくある姿である.しかし,コンテナを引っ張る,あるいは,貨車を引っ張るというのは,多少なりともバスの運行のために貨物業者から対価が入ってくることを示している.また,バスは定期的に運行されるから,定期的に荷物が届くという貨物業者・利用者にとってのメリットもあるだろう.

別にイタリアのとおりにやる必要はない.バスに空席が多いようなら,バスの後方を荷台にするという手もあるだろう.いろいろなアイディアを出して,過疎地域への公共交通を確保しないといけない.日本では思いもかけないバスとコンテナの組み合わせであるが,それを一度見てしまうと,自分の発想が貧困だったことを思い知る.さまざまなアイディアを模索できればと思う.
 ここ2年あまりの自分自身の激動のためか、オリンピックの見え方が違ってきている。
 金・銀・銅とかいうことにこだわらなくなった。スポーツ選手ならば、誰しも全く怪我なく無傷でいられることはないのだろうということが実感として理解できるようになったからだ。スポーツにせよ学問にせよ、がんばってやるからこそ怪我をするのだということが実感できるようになったということだ。また、行きつけの店のマスターのところのボン2人(ともにかなりのレベルであったらしい)が、ともに大けがをして1人は競技続行を断念せざるをえなくなったとかいう話を聞いたということもある。メダリストというのは、怪我もしたのだろうけれども、打ち所がまだよかったとかいうような幸運もあるのだろうなと思うのである。もちろん、そもそもの身体能力が多少とも優れていたということはあるのだろうけれども。選手たち本人は多少ともメダルを目指してやるのだろうし、周囲も期待するのだろうけど、順位はともかくとして、それぞれの選手がそれぞれに努力してそこまでたどり着いた晴れ姿をみんな賞賛してあげればよいと思うのである。中には、怪我からの復活についてマスコミが特に取り上げる人物もいるのだが、それ以外の人が怪我をしなかったり、比較的に努力をしていないということではないのだと思う。
 とはいっても、手放しでその理屈を全ての人々に適用しようとは思わない。「世界で一つだけの花」は、やはり嫌いである。不可抗力的な場合を除けば、無為にだらだら過ごしていている人に対して、花だと愛でる必要はない。

 社会学者であるから、こういうときに「国家」というものの存在が気になるわけである。ナショナル・チームに選抜されるということになると、当然国家からの支援を多少ならずとも受けることになる。たとえば、各国の人口とメダル数の比が一定ではないことからしても、このことは見て取れる。応援が国家単位での応援となりがちなのは、ある意味では、応援する側が選手たちに対して、「お前ら国家から投資されているのだから、ちゃんとアウトプットを出せよ」と言っているのだとも読める。また、自国の選手が活躍すればするほど、それを応援する国民のナショナリズムを昂揚することになるかもしれない。それは「意図せざる結果」だ、などというのは白々しい。そういうものである。かつて、モスクワ・オリンピックのボイコットなどということがあったが、冷戦下でなくとも、スポーツは国家とそもそも切り離せない関係になっている。オリンピック選手ともなれば、選手1人1人の肩に国家の重しが乗っかっているのである。
 また、オリンピック選手ともなれば、企業などの組織からふだんの活動の資金を援助してもらっているということもある。オリンピック選手にもなれば、国家からの援助だけでなく、企業・組織からの援助も受けていることが多い。これを排除してしまうと、選手育成はままならないことになるケースが多いだろう。スポーツはスポンサーである企業・組織と切り離せない関係になっている。オリンピック選手ともなれば、選手1人1人の肩に企業・組織の重しも乗っかっているのである。
 そういった重しを全て取り除いてしまったとしたら... はたしてテレビに映っている面々の多くは残っているのだろうか。大いに疑問である。
 あるブランドが好みなら、その企業が支援している選手を応援するということはありうるだろうか。先日、スピードスケートで2人の男子選手が入賞したとき、長野県内のスポンサー企業がテレビの前で応援している姿がNHKのローカル・ニュースでは映し出されていたが、全国放送では映されず、県外のその選手の出身地の小学校だか中学校が映っていた(少なくとも私の見た限りでは)。オリンピックでは、スポンサー企業の名前は封印され(特に日本以外の場合)、国家だけが前面に出てくる。オリンピックを見据えて国籍を変えるということもよくあることである。なぜ民間の支援は消され、国家という枠組みだけを残さないといけないのだろうか。
 選手たちが、国家や企業の支援を受けてまで自分を伸ばそうとする意欲と努力は買いたい。しかし、それは、企業や国家を越えて、世界中、どの選手も同じではないだろうか。私はそう考えると、マスコミが、オリンピックやワールドカップなどになると、国家という枠をあまりにも強調しすぎるように思えてならない。他国の選手を応援することももっとあってよいのではないかと思う。グローバル時代のあり方として、自国選手ひいきの報道や応援の仕方をどのようにすべきか、もっと考えてもよいと思う。救いは、今コーチが国家を越えつつあるということである。それにしても、お金をどれだけ積まれたかといった事情もあるのかもしれないが、それはともかくとして、グローバル時代のあり方として1つの方向性を示唆しているように思える。
 私がアメリカに留学していたころ、オリンピックの報道は、日本のそれと比べて、明らかに扱いが小さいように思えた。野球やバスケなどの「いつもの放送」が、だいたい普段どおり行われていた。扱いのギャップに驚いた。あれでは、オリンピックを通じてナショナリズムを昂揚するといったところまではいかないように思われた。明らかに日本の報道は、ナショナリズムの昂揚を過度に煽っているように感じられる。
 蛇足だが、国家という枠組みを強調する一方で、政治関心は選挙の投票率の漸減傾向から見ても高くない。外枠だけ強調しても、その中身は今ひとつパッとしないのも気になるところだ。
 それ以前から本屋の書棚で見かけていたのですが、朝日新聞の書評に簡単な紹介がされたので、読んでみる気になりました。日本語の書名は、『トイレの話をしよう:世界65億人が抱える大問題』となっていますが、英語の原題は、The Big Necessity: The Unmentionable World of Human Waste and Why It Mattersです。実際には、内容はこれら2つを足したような内容です。つまり、トイレの話だけではなく、下水や公衆衛生についても述べられています。トイレや糞尿処理という話題は、ふだん一般の人には避けられますし、公衆衛生の専門家たちも、水道を作って水を提供する話には関心を持っていますが、糞尿の処理についてはあまり認識がされていないようだというようなことが描かれています。
 読み通してみて、これまで知らなかったことがたくさん出てきてとても知的好奇心をくすぐられました。また、私は、あまり他人のことを尊敬しない人間だと思いますが、この著者(イギリスの女性ジャーナリスト)をはじめ、この本の各章に出てくる主人公の人たちを尊敬に値する人々であると率直に思いました。それは、自分なら、訓練すれば、あるいは、やろうと思えば、こういう仕事ができるか、と問うたときに、自分にはとてもできないと思ったからです。下水の処理法を考えたり、発展途上国でトイレや下水道の普及に取り組んだり、そのような職業に就く人たちは、他の人々から厭われたりしていますが、このような人たちの、まさに陰の努力があってこそ、世界はより住みやすく安全で健康に生きられる場所になっているのだということが理解できました。
 また、文体も魅力的です。英語の原著もよく書けているのでしょうし、訳もこなれていて、原著の魅力をよく伝えていると思いました。ともかく、各章に非常に具体的で印象的な話があり、内容が1つ1つ頭の中に残ります。

 「はじめに」の部分では、この本で取り上げるトイレなどに関わる問題がざっと述べられています。この本を買おうか読もうか迷っている人は、この部分だけでも立ち読みしてみる価値ありです。
 第1章は、日本のウォッシュレットの話です。2大メーカーがしのぎを削っている様子が描かれています。一方、ウォッシュレットは、欧米ではあまりはやっていないようでもあります。納得できる答えが用意されているわけではありませんが、なぜかを想像しながら読むのは面白いです。
 以下、下水道ツアーの話、インドのカーストの中で不可蝕民にさえ不可蝕とされる手作業の糞尿処理人の話、バイオガスや肥料としての利用を巡る話、トイレにおける儀礼的無関心など文化との関連の話、各国の糞尿の処理の現状など、目から鱗が落ちるほど、これまで知らなかったが、しかし非常に重要であると思われる話が次々に展開されていきます。

 私は、この本を読みながら、子どもの頃、たぶん、幼稚園か小学校低学年の頃、つまりは、1970年代の前半か半ば頃ですが、当時京都市の街外れの大通り沿いに住んでいたときのことを思い出しました。ある時期、下水道工事をかなり長期間にわたってやっていました。当時は、下水道という言葉だけを聞かされていて、それが何かもよくわかっていませんでしたが、そういえば、そのあと、水洗トイレになったような気もします。あの頃、下水道が敷設されたことによって、日本人の暮らしは、およそ今と変わらない感じになったのだと思います。その下水道ができるまでは、いわゆるぼっとん便所がありました。私自身には記憶がありませんが、両親の話では、昔、近くの農家の人が、肥を買いに来ていたそうです。この本でも、第7章あたりに、そのような農業について取り上げられていましたが、確かに下水道ができてからは、近くの田畑に肥だめを見なくなったような気がします。糞尿をどう処理するか、その技術や制度によって社会のあり方(その現れが、各国における伝染病による死亡率や寿命)が変わってくるというのは、非常に示唆に富んでいるように思われました。
 この本は、分類からすれば社会学の本ではありません。ジャーナリストが書いたノンフィクションということになるのでしょう。しかし、今まで陰に隠されていた事柄の重要性をきちんと説いているだけでなく、トイレや糞尿処理という観点から、社会や世界のあり方を考えてみようとする点で、視点の一貫性もあり、社会学の本としてみても、一定の水準にはあるものだと思いました。
 あえて若干のネガティブな側面をあげるとすれば、意外に読むのに時間がかかるという点でしょうか。読み応えがあるとポジティブに取ることもできるのですが、ページ数の割りには時間がかかりました。いろいろと考えさせられたからだと思います。読後にそれなりの疲労感がありました。しかし、これだけさまざまなことを考えさせられたのは、それだけ問題に重要性があり、また、本書がきわめて知的に刺激的であるからだと言えるでしょう。
Asahi.com 2009年5月5日4時39分
記事内容:

 田植えはゴールデンウイークを避け、5月半ばに有給休暇で――。福井県が実家の農業を手伝う職員にこう呼びかけている。兼業農家率が9割と高く、例年、 大型連休に田植えが集中する。だが、それだと穂が出る時期が近年の猛暑と重なり、品質が落ちて福井米のブランド力に傷がつくからだ。

 西川一誠知事は3月、対象の職員400人を集め、「農業の未来が明るくなるよう地域、家庭で実行を」と訓示した。知事部局の8分の1を占める人数だ。

 コメは県の農業産出額の7割を占めるが、日本穀物検定協会による福井産コシヒカリの07年の食味評価は5段階評価で真ん中の「A′」。同年の1俵あたりの価格は1万4053円。近隣の新潟、富山、石川を下回る。

 黄金週間に田植えをすると穂が出るのは7月下旬ごろ。県によると、最近5年間のこの直後10日間ほどの成長期の平均気温は平年より1、2度高い。 この時期に高温が続くと、粒が割れる胴割米となったり、乳白色に濁り食味が落ちたりする被害が出やすい。出穂期が8月初旬ごろなら、成長期の平均気温は1 度ほど下がるという。

 福井県では来年度、全農地の6割で遅植えの実施を目指す。ある県職員(46)は「週休2日や育児休暇のように行政が主導し、企業に呼びかけて広げ るしかない」と話す。しかし、別の職員は「地域で助け合っている生産組合加盟の農家の場合、皆が休める5月の連休から、1人だけずらすのは難しいだろう」 と不安顔だ。

 福井県水田農業経営課は「県が田植え休暇を職員に奨励するのは全国でも珍しい。率先して5月半ば植えに取り組んでもらい、地域のモデルとなってほしい」と話している。(田中章博)

コメント:
 福井県知事も危ない橋を渡ろうとするものである.この記事のポイントは,「黄金週間に田植えをすると穂が出るのは7月下旬ごろ。県によると、最近5年間のこの直後10日間ほどの成長期の平均気温は平年より1、2度高い。 この時期に高温が続くと、粒が割れる胴割米となったり、乳白色に濁り食味が落ちたりする被害が出やすい。」というところにあるが,この傾向が今年も続くという保証はないというのが本当のところだろう.
 その「平年」だが,現在の値は,1971年から2000年までの30年分の平均値らしい.確かにやや古くなっているようには思うが,かといって最近5年の平均値から今年度の値を占うのも危うい.7月下旬という時期は,梅雨明けがずれ込む可能性のある時期でもあるだろうし,変動は結構あるのではないかと想像する.
 ところで,以前,先物取引の危なそうな業者がいくつか前の勤務先に乗り込んできて,話を聞かされたことがある.この話はそれと酷似しているように思われる.「このところ数年間の気象変動と収穫量,市場の需給関係から,今年も同じような傾向が続くと思われるので,必ず小麦を買うと儲かりますよ.」というあの論法とである.
 この手の話でモデル的にまずいのは,気候が変動するメカニズムが示されていない点である.根拠となっているのは,5年間の数値だけである.しかし,私は気象学に詳しいわけではないが,気象変動には原因となるいくつもの要因があるはずである.(しかしそれでも,私自身は,気象学がかなり「甘い」のではないかと感じている.たとえばエルニーニョ現象が発生したかどうかということを季節変動の根拠にするのはどうかなと思うのである.おそらく,エルニーニョ現象は,それ自体のメカニズムが説明されるべきであり,エルニーニョ現象をもとにその年の季節変動を予想(説明)するのは,本当はかなり無理があるのではないかという予感がしている.たぶんそれが,現在の気象学の限界なのだろうと思うのである.)ともあれ,重要なのは,気象のメカニズムが今年どのように動いていて,今年のその時期の気温をどのように予測するかである.過去5年間の数値は,その年その年のメカニズムがその時期に結果として表れただけのことであって,今年の温度を予想するのには,ちっとも役立たないはずである.5年間の平均を見て今年の気温を占うのは,ほとんど無意味であると思われる.
 それから,この知事の話は,かなり人間側の事情を無視していると言わざるをえない.兼業農家がほとんどを占めるから,ゴールデンウィークを利用して田植えをせざるをえないという事情もあるのだろう.その時期には人手もあるし,疲れれば休める.農家の人にとっては,つまらない予測に付き合うよりは,よほど現実的根拠がある行動である.
 福井県知事は,無意味な占いで人心を惑わすよりは,胴割米にならず,食味の落ちない品種の開発を支援するといった方向性を考えてみた方がよいのではないだろうか.

蛇足:あと,細かいところで気になるのは,福井にとって近隣県は新潟ではないだろう(富山は許容範囲かもしれないが).なぜ京都や岐阜と比較しないのかよくわからない.

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