2009年5月アーカイブ

orch0530.jpgのサムネール画像 5月30日の午後,信州大学交響楽団の第83回定期演奏会に行ってきました.
 12月に吹奏楽団の定演に行ったという記事を書いたら,うちの研究室の交響楽団所属の学生(当時4年,Trb)から,「先生,私たちの方には来てくれませんでしたよね」としかとされ(笑),「今度は行くから」とたじろぎました.
 その学生は今春卒業しましたが,今年の4年にも交響楽団の学生(Ob)がいます.その学生とは,「音楽祭プロジェクト」を一緒にやっていますが,そういうこともあって,今年は定演に行くことにしました.Ob担当のその学生からは,逆に「先生は辛口だから...」と敬遠され,「行くよ」と言っても,なかなかチケットを渡してもらえませんでした(苦笑).
 この演奏会に先立ち,つい先日,「音楽祭プロジェクト」で同僚のH先生とObの学生とで木曽町の役場に「木曽音楽祭」の話を聞きに行きました.そこで,ちょうどその日にできあがって役場に届けられたばかりの400枚の木曽音楽祭のチラシを,交響楽団のプログラムに挟み込んでもらうようにと依頼されて持ち帰ってきました.
 そして今日.午前中に所用で大学に行ったら,研究室の片付けを始めてしまい,ふと気づいたら演奏会の時間が差し迫っていて,大あわてで一旦帰宅して準備をし,ぎりぎりで会場に飛び込みました.会場は結構席が埋まっていましたが,前方のわりとよい席に座りました.ふとプログラムを見ると,例の木曽音楽祭のチラシは挟まっていませんでした.あれっと思いましたが,周囲を見渡すと挟んであるものもありました.つまり,400枚は,無事にさばけていたということです.(木曽の関係者の方>全部さばけましたよ!)
 前振りが長くなりましたが,もう少しだけ.実は,これが最初の信大オケではありません.卒業式と入学式の時にもステージの奥で演奏しているのを聴いていました.それで,正直に言えば,あまり期待しないで聴こうと思っていました.というのも,卒業式でも入学式でも,弦のチューニングが合っておらず,私はいらいらとしてしまったからでした.昔,「クリープを入れないコーヒーなんて」というCMがありましたが(古),「チューニングができないオーケストラなんて」という感じでした.

 さて,あまり期待せずにと思っていたのですが,すぐによい意味で裏切られました.チューニングはまずまずでしたし,指揮者が学生ではなくプロということもあってきちんと指導がされており,曲としてまとまっているし,指揮者の意図に応えようと学生たちも一生懸命な感じが伝わってきて,アマチュア・オーケストラとしては,十分に聴き応えのある演奏になっていました.感服しました.
 「モルダウ」は,中間部でやや間延びした感じもあり,また,テーマの再現部への橋渡しが指揮者の意図どおりではなかった気もしましたが,全体として雰囲気を大切にしたロマンティックな演奏になっていたと思います.
 「カルメン」は,管楽器が全体としてなかなかうまくて色彩感があり,TrpとFlは,かなりいい線行っていたと思います.また,ダブルリード系の楽器がわりと安定していました(おーい,ちょっとほめといたよ!).結構団員もノリノリで,Vcの女性が時折見せる笑みが印象的でした.他の弦奏者たちも時折笑っていて,指揮者の方が何かしているのかもしれないなと思いましたが,自然の笑みにも思えました.こういう演奏会もいいですね.
 休憩時間に,卒業生のTrb(現在,岐阜県で高校教員)と再会し,近況について話をしました.短い間でしたが元気そうでよかったです.とりあえず,ノルマを果たしましたよ!っと.
 また,休憩時間の間に,全体が見渡せる後方に移動しました.
 休憩後はシベリウスの2番.この曲は,ちょっと難しかったかな.果敢にトライしたことには敬意を表したいと思いますが,シベリウス的といいますか,北欧的といいますか,そういうサウンドではなかったように思いました.「ここで弦がもっと雰囲気のある音を作らなきゃ」というところが何カ所かありました.「ニ長調だよ,ニ長調!もっと明るく,ほらほら.」それでも,2楽章の最後の方は,とてもよい音が鳴っていて感動的でした.
 ところで,私は弦楽器の経験はないのですが,Vnの中高音(特に高音)が強奏部でも前に響いてこないのが不思議でした.プロの持つ弦楽器は(管楽器とは違って)桁がいくつも違うほど値段が違いますが,お値段の違いが鳴りの違いなのでしょうか.そうだとしたら致し方ないことかと思いますが,Va,Vc,Cbあたりはそれほど違和感はなかったので,Vnだけなぜ?という点だけが釈然とせずに残っています.これは今回だけではなく,これまでもそうだったので,解明したいところです.
 全体的な感想としては,満喫しました.かなり濃密な内容で,学生オケでもこんなにできるんだなと感心しました.しかし,何となく冷や冷やしながら聴いていたこともあり,疲れました.また,辛口だったかなぁ>Mさん.いや,でも,団員のみなさんが心を一つに合わせていることがよく伝わってくる演奏でした.私は,やっぱり演奏活動を離れてしまったことを悔やみました.やっぱり合奏は楽しいよね.自分もまた何か復帰できないかと思ったりします.演奏会が終わったあと,Mさんと少し話しましたが,さっぱりした表情が印象的でした.また聴きに行かせてもらいます.

 このところ,未明にカッコウらしい鳴き声が聞こえる.今(午前4時前)も時折「カッコウ,カッコウ,...」と鳴いては止まり,またしばらくして鳴いては止まるというのを繰り返しています.
 身近な環境にカッコウがいるとは思わなかった.夜が少しずつ白みはじめていることを告げているのだろうか.
 気分は,ヨナーソンの「カッコウワルツ」的な明るさは全く感じられず,ダカンの「カッコウ」に近いかな.やや暗さを感じる鳴き声である.少なくともワルツではなく2拍子である(笑)

 5月26日(火)の「経験社会学基礎Ⅳ」の授業の講義内容を予定変更し,また人文学部の学生全体にも公開することとして,「社会ネットワークとインフルエンザの感染」という題目で講義を行いました.その内容については,大学のオフィシャルなページに載せておきましたので,ご参照ください.
 ふだんは見たことのない学生も参加してくれて,個人的にはとてもうれしかったです.
 今年度から2年間,数理社会学会の事務局を引き受けている.学会の理事に前期に続いて選んでいただき,前回の渉外理事とは異なる庶務理事という仕事を仰せつかったのだが,庶務理事とは要は学会諸雑用係(笑)であり,事務局なのである.これまでは,きちんとぬかりなく仕事をされる,いわゆる事務局向けという感じの方々が歴代担当されてきたのだが,「何でわしやねん」という感じなのである.役職の割り振りは会長に一任されているので無碍に断るわけにもいかずお引き受けしたが,やはりこの仕事,私の適正とはずれている気がしてならないのである.間違いのない仕事を粛々とこなしていかなければならないのだが,私は小学生の頃から,100点が取れないやつであった.常にケアレスミスをし,何をやっても95点とかに甘んじるのである.その矯正の目的のためか,一時期,公文式(100点にならないと次の教材に進めない)に入れられたが,ちっとも改善せず,親の方が諦めてしまった.
 そんな私だが,このほど事務局としての大仕事の第1弾である,学会のニューズレターの発行という仕事をこのほど完了した.いくら原稿を見直しても,ちょっとずつ細かいミスが発見される.最後はもう開き直って,「えーい,もうやめやめ.オレには95点しかとられへんのや」と開き直って原稿を印刷したら,原稿とは違うところで手続的なミスをしていることが判明するなど,「やっぱりな」であった.
 ところで,うちの学生たちを見ていると,何か自分の若い頃を見ているような気がすることがよくある.信大生は,やはり国立大学の学生だけあり,それなりに優秀である.小学生のときは100点ばかりだったというやつもいるようではある.しかしながら,私と同様,何か詰めが甘いやつも結構いるのである.そのあたりが,自分を見ているようで,愉快でもあり,腹立たしくもある.私が信大生に親近感をもつのは,そういう「ちょい抜け」なところが好きなのかもしれない.
 脱線してしまったが,この世には,校閲者とか,素晴らしく細かいところに気づく人がいて,それを専門の仕事にしている.どんな神経をしているのだろうかと不思議でしかたない.100点とは言わないまでも,どうすれば95点を98点くらいまで持っていくことができるのか,誰か教えてほしいと思う.このニューズレターの仕事は,3ヶ月ごとにやってくる.これまで何気なくやってきてあまりきちんと読まなかったニューズレター.前任者の方々の神経をすり減らしたたまものである.もっとちゃんと読んで差し上げるべきだったと思う.どんな仕事も,そのつらさも喜びもやってみなければわからないものだが,これから任期終了までこれがさらに7回もあるかと思うと,全く喜べる状態にはない.前任者のTさんの庶務理事の仕事を終えての挨拶文には,とても解き放たれた気持ちが表れている.早く過ぎ去ってほしい2年間である.物理学者に早く時空をワープできるタイムマシンを考えてほしいものである.知らない間に2年経っていたら最高だ.そういえば,木曽路には,浦島太郎が竜宮城から帰ってきて余生を過ごしたという寝覚ノ床がある.
 タイトルのとおりである.
 ことのはじめは2月.私は公用で松本から大阪に向かい,特急「しなの」に乗り込んだ.暖冬ではあったが,2月の終わり頃,塩尻を越えて木曽路にはいると,次第に白い雪が目立ってくる.奈良井宿あたりになるととても風情のある光景になってくる.そのあたりでヘッドフォンを取り出して何気なくモーツァルトの「交響曲40番」を流し始めた.するとその光景は,絶景へと変わったのである.
DSC00156.JPG 何ということだろう.こういうのをまさに「はまる」というのだと思う.谷間を走る線路にのしかかる白い山とどんよりとした空.物憂げな40番の旋律が,関西系のつっこみで言えば,まさに「そのまんまやがな」という感じなのである.
 40番の1楽章の34小節目あたりのバイオリンの8分音符の上昇が4回(4小節)続き,その後4小節で第1バイオリンのメロディが他の弦パートの8分音符の刻みにあおられてアジタート気味に聞こえるあたりや,153小節目あたりのバイオリンがヒステリックな旋律を奏でるあたりの疾走感は,列車が走り車窓が流れていく感じともマッチして,絶妙な雰囲気を醸し出す.
 冬が去り,GWとなり,白い雪は消えて緑に覆われるようになった.GWに続く週末には所用で関西の実家に帰ったが,名古屋から戻ってくるときに,試しにと思って木曽路に入ってまた40番を聴いてみたのである.
 すると,意外や意外,日の降り注ぐ緑の中でも,曲が短調であることがかえって緑の明るさを引き立たせるようで,これまたよい雰囲気になったのである.(残念ながら,この間は写真は撮っていない.)
 ともあれ,季節は違っても,木曽路には40番が合うようである.一度機会のある方はお試しください.

追記:
 私が聴いていたのは,ベーム指揮ウィーンフィルでした.今日,アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団を聴いてみましたが,たぶん,これだとはまらないと思いました.古楽器のお勉強的な色気のない弦のボウイングはたぶんダメです.これは私の古楽器演奏へのバイアスもあるかと思いますが.ともあれ,私が思うに,いわゆるベーム的な感じの演奏が合うのではないかと思います.(5/16)

 先日,GWを利用してインタビュー調査に行ってきました.
 今年は,音楽祭の市民への心理的・社会的影響について,学部の同僚のH先生と私の研究室の学生とともに調査を行っています.今回のインタビュー調査は,その一環でした.
 今回お邪魔したのは,昨年まで「アフィニス夏の音楽祭」(以下,A音楽祭)が20回にわたって開催されていた飯田市でした.2日間にわたり,のべ9人(私はそのうち6人)の方々にお話を伺いました.A音楽祭は,運営に市民が参加する比重が高いとか,リハーサルを見学できるとかいうような特徴があったのですが,今回は,そのような運営に当たった方々や,リハーサルを見学した方,コンサートに参加された方々などの中から,その中でもかなり積極的に関わってこられた方々を中心にお話を聞いてきました.
 本当にみなさんがA音楽祭に,そしてまたご自分の音楽活動に精力的に取り組まれていることがわかりました.その音楽に向ける情熱に,お話を伺っているだけでもこちらがうるっとくるくらい感動しました.それぞれの方々から生きる喜びのようなものが感じられ,「美しい生き方」とは何かといったことを考えてしまいました.高校1年生のときに音楽の道を諦めてしまったことを多少なりとも悔やんだりしました.夢の中でもいいし,生まれ変わってからでもいいし,いつかは指揮をやってみたいと高校生の頃に戻ったように素朴に思いました.
 そんな中,私が1人でお話を聞いたある方と話が弾み,私の身の上話で,中学校3年生のときに,チャイコフスキーの「交響曲第5番」(以下,チャイ5)の2楽章を吹奏楽に編曲したという話をしました.すると先ほど,その方がメールをくださって,その方のチャイ5への思いなどをさらにいろいろとお話しくださいました.そうこうしているうちに,チャイ5のことをちょっと赤裸々ですが書いてみようと思いました.

 私は中学校1年生で吹奏楽を始めました.宝塚市宝梅中学校というところで,私が入学したとき教員になって4年目の若い渡辺秀之先生が顧問で指揮をされていました.5年目に全国大会に行くことを目標としておられ,まさに叩き上げの時期でもありました.実際に私が2年生である5年目に全国大会に初出場し,渡辺先生は,当時最年少で全国大会に出場した指揮者となられました.(その後も中学校の部では全国大会5年連続金賞(招待演奏1回),中学校の部での出場回数歴代3位(宝梅中学校と中山五月台中学校で計17+1回)という輝かしい実績をおさめてきておられます.)しかし,あろうことか,その初出場の2年生のときの1年間,私は父親のサバティカルで米国ミシガン州のアナーバーに行くことになってしまい,宝梅中学校にはいなかったのでした.
 チャイ5との出会いは,そのアメリカででした.その夏,私は家族旅行でミシガンから東海岸方面に旅行に行きました.そして7月4日頃,米国建国のゆかりの地であるフィラデルフィアにいたのです.そこで野外コンサートがあることがわかり,父と私とでフィラデルフィア管弦楽団の演奏を聴きに出かけたのでした.指揮はユージン・オーマンディだったと記憶しています.当時私はあまりよくは知りませんでしたが,父はコンサート前から,「数ドルでこんな演奏会が聴けるなんて」と興奮していました.そこで私は生まれて初めてコンサートに行き,生まれて初めてチャイ5を聴いたのでした.その2楽章は,あのホルンのソロは,暮れゆく野外の雰囲気にあまりにも美しく溶け込んでいました.あの光景は,ぼんやりとではありますが忘れられないものになりました.
 日本に帰国し宝梅中学校に戻りました.3年生になり,同じ部活の同級生に恋をしました(恥).私はその思いを何とか伝えたくて,そこで何を思ったのか,1学期の期末テスト期間,部活がないことをよいことに,ほとんど何も勉強せず,チャイ5の2楽章を吹奏楽に編曲して贈るということをやったのでした.まさに,「恋は魔術師」(笑).その恋は実ったような実らなかったようなよくわからない感じでしたが,ともかく,そのコピー(原本は彼女に贈ったので...)を渡辺先生に見せたら,「天才やな!」とおだてられ,私もその気になって音大の作曲科に行こうと思ったものでした.高1までは東京芸大を目指そうか,京大で天体物理をやろうかと,わけのわからないことを考えていました.そして今,私は社会学をやっていますが,これは中間的着地点だったのか,何なのかよくわかりません.
 ともあれ,今年のこの音楽祭関係のお仕事,これは相当にはまりそうです.しかし心配なのは,自分がそのうち社会学を放り出して,再度音楽の道を歩もうなんてことを考えてしまうのではないかという怖さです.しばらく童心に返ったように夢想する日がありそうです.

最後にせっかくなのでちょっと宣伝.
 渡辺先生と宝梅中学校吹奏楽部の記録CD「憧れをだきしめて」が出ています.私が出演した1983年の演奏も入っています.

また,渡辺先生がその後着任された中山五月台中学校吹奏楽部の「輝きをだきしめて」も出ています.

 だまされたと思って一度聴いてみていただけるとうれしいです.

 私が中越地震以降4年間取材をしてきた,旧栃尾市(現長岡市)中野俣地区において『中越大震災復興記念 中野俣集落誌:災害を越えて伝えるふるさと』(以下,集落誌)が刊行された(非売品).

大学の公式サイトにも「『中野俣集落誌』の刊行」についての記事を書いた.ここでは,その後の感想を書こうと思う.

 自分ではそれなりに思いを込めた文章を寄稿したつもりだったが,集落誌を読んでいると,頭でっかちで,ちっとも中味のない空虚な文章に思えてきた.そんなつもりはなかったのだが....1人1人の震災の体験がつづられたその記録は圧倒的で,それが多少なりとも編集委員の富澤校長先生の手を経ているとはいえ,リアルで鮮明である.
 私は留学していたために1995年の阪神大震災を体験し損ねている.宝塚の実家も半壊の被害を受けたが,その本当の苦しみを知らずにきている.母は,私がその体験をしなかったことが,し損ねた人生経験として非常に大きいのではないかと言ったことがある.私が中越地震の被災地の調査をしようと考えたのは,阪神大震災の追体験をしたいという意味合いもあったのである.
 しかしながら,自分の寄稿した文章は,中野俣集落の人々の文章と比較すると,あまりに薄っぺらいのである.社会学理論は確かに現実を抽象化したものであり,その意味での薄さがあるのはやむをえないところもある.しかし,自分の書いた文章は,装飾的なだけで,現地で本当にどれだけリアルな体験ができたと言えるのか,集落に対する思いを伝えられているのかと思うと,自己嫌悪に陥りそうである.
 全身全霊で向かいながら,しかし冷静に理論化を行うというのは,実現不能なことなのだろうか.まだまだ自分が人間として未成熟であることを痛切に感じている.
Asahi.com 2009年5月5日4時39分
記事内容:

 田植えはゴールデンウイークを避け、5月半ばに有給休暇で――。福井県が実家の農業を手伝う職員にこう呼びかけている。兼業農家率が9割と高く、例年、 大型連休に田植えが集中する。だが、それだと穂が出る時期が近年の猛暑と重なり、品質が落ちて福井米のブランド力に傷がつくからだ。

 西川一誠知事は3月、対象の職員400人を集め、「農業の未来が明るくなるよう地域、家庭で実行を」と訓示した。知事部局の8分の1を占める人数だ。

 コメは県の農業産出額の7割を占めるが、日本穀物検定協会による福井産コシヒカリの07年の食味評価は5段階評価で真ん中の「A′」。同年の1俵あたりの価格は1万4053円。近隣の新潟、富山、石川を下回る。

 黄金週間に田植えをすると穂が出るのは7月下旬ごろ。県によると、最近5年間のこの直後10日間ほどの成長期の平均気温は平年より1、2度高い。 この時期に高温が続くと、粒が割れる胴割米となったり、乳白色に濁り食味が落ちたりする被害が出やすい。出穂期が8月初旬ごろなら、成長期の平均気温は1 度ほど下がるという。

 福井県では来年度、全農地の6割で遅植えの実施を目指す。ある県職員(46)は「週休2日や育児休暇のように行政が主導し、企業に呼びかけて広げ るしかない」と話す。しかし、別の職員は「地域で助け合っている生産組合加盟の農家の場合、皆が休める5月の連休から、1人だけずらすのは難しいだろう」 と不安顔だ。

 福井県水田農業経営課は「県が田植え休暇を職員に奨励するのは全国でも珍しい。率先して5月半ば植えに取り組んでもらい、地域のモデルとなってほしい」と話している。(田中章博)

コメント:
 福井県知事も危ない橋を渡ろうとするものである.この記事のポイントは,「黄金週間に田植えをすると穂が出るのは7月下旬ごろ。県によると、最近5年間のこの直後10日間ほどの成長期の平均気温は平年より1、2度高い。 この時期に高温が続くと、粒が割れる胴割米となったり、乳白色に濁り食味が落ちたりする被害が出やすい。」というところにあるが,この傾向が今年も続くという保証はないというのが本当のところだろう.
 その「平年」だが,現在の値は,1971年から2000年までの30年分の平均値らしい.確かにやや古くなっているようには思うが,かといって最近5年の平均値から今年度の値を占うのも危うい.7月下旬という時期は,梅雨明けがずれ込む可能性のある時期でもあるだろうし,変動は結構あるのではないかと想像する.
 ところで,以前,先物取引の危なそうな業者がいくつか前の勤務先に乗り込んできて,話を聞かされたことがある.この話はそれと酷似しているように思われる.「このところ数年間の気象変動と収穫量,市場の需給関係から,今年も同じような傾向が続くと思われるので,必ず小麦を買うと儲かりますよ.」というあの論法とである.
 この手の話でモデル的にまずいのは,気候が変動するメカニズムが示されていない点である.根拠となっているのは,5年間の数値だけである.しかし,私は気象学に詳しいわけではないが,気象変動には原因となるいくつもの要因があるはずである.(しかしそれでも,私自身は,気象学がかなり「甘い」のではないかと感じている.たとえばエルニーニョ現象が発生したかどうかということを季節変動の根拠にするのはどうかなと思うのである.おそらく,エルニーニョ現象は,それ自体のメカニズムが説明されるべきであり,エルニーニョ現象をもとにその年の季節変動を予想(説明)するのは,本当はかなり無理があるのではないかという予感がしている.たぶんそれが,現在の気象学の限界なのだろうと思うのである.)ともあれ,重要なのは,気象のメカニズムが今年どのように動いていて,今年のその時期の気温をどのように予測するかである.過去5年間の数値は,その年その年のメカニズムがその時期に結果として表れただけのことであって,今年の温度を予想するのには,ちっとも役立たないはずである.5年間の平均を見て今年の気温を占うのは,ほとんど無意味であると思われる.
 それから,この知事の話は,かなり人間側の事情を無視していると言わざるをえない.兼業農家がほとんどを占めるから,ゴールデンウィークを利用して田植えをせざるをえないという事情もあるのだろう.その時期には人手もあるし,疲れれば休める.農家の人にとっては,つまらない予測に付き合うよりは,よほど現実的根拠がある行動である.
 福井県知事は,無意味な占いで人心を惑わすよりは,胴割米にならず,食味の落ちない品種の開発を支援するといった方向性を考えてみた方がよいのではないだろうか.

蛇足:あと,細かいところで気になるのは,福井にとって近隣県は新潟ではないだろう(富山は許容範囲かもしれないが).なぜ京都や岐阜と比較しないのかよくわからない.

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