6月20日(土),妻と所沢市民文化センターMUSEアークホールに,クリスチャン・ツィメルマンのリサイタルを聴きに行きました.
プログラムは,ドイツ3大Bと,ツィメルマンと同郷ポーランドのシマノフスキの曲でした.詳細は以下のとおりでした.

J.S.バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV826
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111
ブラームス:4つの小品 作品119
シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 作品10
午後5時から始まったリサイタルですが,この日は午前中に別の用があって疲れていましたので,バッハは私のよき子守歌になりました.実際には寝てしまってはいないものの,とても心地のよい響きでした.左手の低音部が主張しすぎずに抑制されているのがその理由かもしれません.私の隣には,かなりよく知っておられるようなご夫婦がいて,休憩時間のときに,その旦那の方が「バッハ弾きのバッハじゃないバッハ」と評されていましたが,なるほどそんな感じがしました.
しかし,それを言うならば,ベートーベンの32番もそんな印象を受けました.32番と言えばポリーニの32番のCDが,ランキング本では評価が高いです.たぶんベートーベンというと,強靱で冴えわたったタッチで弾くとそれらしくなり,多くの評を集めることになるのでしょう.それはそうなのでしょうし,私もポリーニの演奏はよいと思いますが,ツィメルマンの演奏は,この曲にはまた違った弾き方・アプローチの仕方があるんだよと教えてくれるような演奏でした.たとえば,2楽章途中のスウィング風のところでは,ツィメルマンは,ポリーニよりテンポを速めに設定して,流れるような弾き方をしていました.また,この曲は,スウィング風のところ以降の構造が見えにくい曲だと思っていたのですが,ツィメルマンの演奏は,それ以降も変奏が続いていることがよくわかるものでした.
休憩時間は,私も妻も余韻を確かめるように,コーヒーを飲みながら,断片的な会話をしていました.
休憩後,ブラームスの曲になりましたが,バッハ・ベートーベンと続いて息が苦しくなるような前半よりは,少し緊張感が解けました.しかし,それは聴いている側の話であり,演奏自体は,ほころびなく立派なものでした.以前からちょくちょく書いているように,私自身はブラームスはあまり好きではありません.それは,派手さがないから(笑)ですが,ツィメルマンの弾く4つの小品では,ブラームスらしいあの独特の和声と50代という域に達したツィメルマンの風格がうまい具合にブレンドされ,派手さはないものの幽玄な世界が展開されていました.
そして,シマノフスキです.もともとこの曲を知っている人はほとんどいないのではないかと思います.私は,プログラムにある曲目解説を読んでも,どんな曲なのか予想がつかなかったので,あまり考えずに身を委ねる感じで聴くしかないと思いました.始まってみると,緩急があり,かなりの技巧が必要な曲ですが,技巧だけでは弾きこなせない陰鬱とした雰囲気を持った曲であり,その陰鬱さはラフマニノフ的なメランコリックなものではなく,シマノフスキ(1882-1937)の生きた19世紀から20世紀にかけて常に占領され続けてきたポーランドという国自体のもつ政治的な陰鬱さといったものが表現されているように感じました.ポーランドの民謡を題材にした曲というあたりからも,そのような重苦しさと解放への希求といった雰囲気が感じられました.ツィメルマンは,そのような思いを1つ1つきちんと表現していこうとする意欲的な演奏を聴かせてくれました.確かに彼は若きにしてショパン・コンクールで優勝したという華々しい経歴の持ち主ではありますが,それ以降30年あまりの研鑽と人生経験により,この曲のような深い陰影を表現できるようなさらなる高みに到達したことを示しているような演奏でした.曲の最後の方で立ち上がって低音部を強打する姿には圧倒されてしまい,演奏が終わってから,ちょっと気を取り直さないと拍手もできないような状態になってしまいました.一夜明け,妻が,最後の低音の連打は,鐘の音を模したものではないかと言いました.私は鐘かどうかはわかりませんが,レクイエムのようにも感じられたので,感じるところは似ていたように思います.一度楽譜が見てみたいです.
それにしても,たいへん充実感の大きなリサイタルでした.3大Bからシマノフスキというプログラムの構成も計算ずくでしょうが見事なものでした.1つ1つの楽曲の素晴らしさもありますが,プログラム全体から発せられるメッセージとは何かということに思いを馳せずにはいられません.とりわけ,最後にシマノフスキを持ってきたということの意味については,またじっくりと考えてみたいと思います.
ところで,MUSEアークホールですが,私は1階29列目中央付近で,2階席が若干かぶるあたりで聴いていました.残響はずいぶんありそうなホールのようですが,このようなあまり条件のよくない席でしたので,速いパッセージのときに特に中音部の残響が混じってしまうように聞こえるところもありましたが,だいたいバランスよく聞こえました.
私はオケ好きなので,リサイタルというものは,ほとんど経験がなかったのですが,このリサイタルは,かなり満足度の高いものでした.リサイタルは,その1人の演奏家の持っているものが凝縮した形で表出されます.この演奏家の人は,どんな人生経験をしてきたのかが,奏でられる音楽に乗り移ります.若いうちの「○○コンクールで優勝」といった経歴は,その人のとりわけ技術的な確かさと,標準的な表現ができるかということを示しているのでしょう.しかし,40代,50代は,それに人生経験というものが加わって表現の深みを形成し,若いときには出せない味わいが現れてくるのだと思います.リサイタルの魅力というものを強く認識しました.
また,CDのランキング本のようなものを参考にしてCDを買うことの良し悪しについても,考えさせられました.私はプロの音楽評論家ではありませんから,CD収集ばかりにお金をかけられないので,失敗しないためにもランキング本は役に立ちます.しかし,たとえば,ベートーベンの32番ですが,確かにポリーニのCDはよいと思います.しかし,32番のようなベートーベンの末期の作品にあっては,演奏家の人生観というものが味付けとして入ってくることによる深遠さもまた重要だと思います.「ベートーベン弾きのベートーベン」は,それなりにスタイルもあるので数多くの評論家から高評価を受けるのでしょう.しかし,必ずしもそのようなスタイルではなくても(だから,数多くの評論家から票を集めることはできないかもしれませんが),共感できる音楽であれば価値があるのだと思いました.やはり,1つ1つ聴いてみないといけないなと思いました.
それから,50代のピアニストというと,自分の強みも弱みもきっとよく理解できるのでしょう.ツィメルマンの演奏は,決して無理することなく美しい音色を生かして曲を作っていくという姿勢が貫かれていることに感心しました.彼は私より一回り上の年齢ですが,あと十数年経つと,私も自分の研究スタイルに自信を持ち,そこからぶれずに研究ができているだろうかと考えさせられました.折も折,今度の学会では,これまでとルートは変わらないものの,一見すればかなり大きな方向転換をしたように見えることをやります.ちゃんと軸足は決まっているのだと感じてもらえるような発表をすることができるでしょうか.私自身はまだ格闘のさなかといったところです.