2009年8月アーカイブ

 昨日のサイトウ・キネン・フェスティバル「武満徹メモリアルコンサートⅩⅣ」に引き続き、今日は木曽音楽祭「フェスティバルコンサートⅢ」に行ってきました。今日は1人ではなく、卒論生のmさんを伴って行きました。先週火曜日に、お手伝いのため行きましたが、今日は実際にコンサートを聴けるとあって、楽しみです。木曽福島駅まで各停で行き、そこから臨時のバスで会場の木曽文化公園文化ホールに行きました。到着すると、野外でアルペンホルン4本の演奏が行われており、昨日の街中のコンサートとは違って、山に来たのだという感じでした。また、木曽漆器などのお店のテントが並んでいて、縁日という感じの雰囲気でした。
 今日も、昨日までは来られるかどうかよくわからない状態で、昨日になって予約を入れました。会場に到着して、当日券売り場でチケットを受け取りました。そこに、事務局を担当されているMさんもいらっしゃって挨拶しました。
 また、先日うかがった際に出会った学生ボランティアの人たちも、明るくきびきびと働いておられ、このような裏方のお仕事をされながら、音楽祭を支える情熱を感じました。
 木曽音楽祭で気になることと言えば、われわれの「文化的イベントの心理・社会的影響に関する調査」のアンケート用紙(緑の用紙)に、どのくらいの方が回答してくださっているかでした。Mさんに様子をうかがったところ、それまで2日間で結構取れているとのことで、安堵しました(まだ具体的な数を数えてはいないようでしたが)。実際、開演までの時間や、インターミッションの時間などに回答してくださっている方々がたくさんいて、心の中で手を合わせました。もし、このブログを読まれて、回答し忘れたという方は、そこに載っているFAX番号まで回答をお寄せいただければ幸いです。

 さて、今日のプログラムは、次のとおりでした。

○ ビゼー=山本眞編曲:カルメン~管楽九重奏版による~
○ レスピーギ:夕暮れ~メゾ・ソプラノと弦楽四重奏のための抒情詩~
○ プーランク:ピアノと管楽器のための六重奏曲
○ メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲 変ホ長調 op.20

 1つずつについて述べると冗長になるので、1つだけ。
 今日の個人的な期待は、レスピーギでした。レスピーギといえば、いわゆる「ローマ3部作」があまりにも有名で、その他、ややマニアで知っているとすれば、「リュートのための古風な舞曲とアリア」と組曲「鳥」ではないでしょうか。私もそれ以外の曲は知りませんでした。また、レスピーギといえば、ローマ3部作のようなオーケストレーションのうまさですが、弦楽四重奏+メゾ・ソプラノというのが意外な気がしていました。しかし、期待以上と言いますか、「ああ、レスピーギってこういう側面もあるんだ」という発見がありました。オーケストラではないものの、内声や低音の動かし方が独特で、やっぱりレスピーギだなと思わせるところがあり、また、「ローマの噴水」などの繊細な描写とはまた違って、非常にエモーショナルな作品で、それを演奏する5人の演奏家たちも非常に説得的な演奏を聴かせてくれました。私にとっては、この曲が一番の収穫でした。レスピーギといえば、何かとイタリアのファシスト政権との絡みのようなことが言われますが、この曲に関する限り、そのような影は見られないように思えました。純粋に感動できる曲だったと思います。

 木曽音楽祭のこれまでのプログラムを見ますと、あまり一般になじみのない曲が多く取り上げられていて、マニアックな感じがします。しかし、今日は4曲中2曲はメジャーな曲だったこともありますが、あまり知られていない曲も、それほど難解なものではなく、よく練られたプログラムだなと思いました。Mさんへのインタビューからは、この音楽祭はリピーターが多いとのことですが、夏の信州・木曽を味わいながら、よい音楽を楽しめる、たいへん贅沢な音楽祭であると思いました。ここから特急だと40分ほどの松本市でサイトウ・キネン・フェスティバルも平行して開催されていますが、木曽は木曽の独特の雰囲気があり、とても心地よい音楽祭だと思いました。
 ただ、1つだけ思うのは、帰りの木曽福島駅行きのバスが終演後10分で発車するというのは、いかがなものかと思いました。余韻に浸る間がありません。また、そんなに急いで木曽福島駅に着いても、列車はすぐに来るわけでもなく、もうちょっとゆったりしたバスの運行をお願いできればと思いました。
 ともあれ、「小さな町の素敵な音楽祭」というコピーのとおり、手作り感のある暖かいコンサートでした。
 最後に、繰り返しになりますが、「文化的イベントの心理・社会的影響に関する調査」のアンケート用紙を提出し忘れた方は、アンケートの末尾に載っている信州大学のFAX番号までお寄せください。2枚ともお送りいただいても、木曽音楽祭の分はそちらにお送りいたします。どうぞよろしくお願いいたします。
 現在、私は、同僚の長谷川先生とともに「文化的イベントの心理・社会的影響に関する調査」という調査を始めたところです。その「文化的イベント」の1つとして「サイトウ・キネン・フェスティバル」も取り上げます。8月中旬から9月初旬にかけて断続的に行われるこの巨大なイベントには、何百人という人たちが関わっています。これまで、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本実行委員会」で事務局長のK氏に話を伺ったり、われわれの調査計画について、K氏や「SKF松本ボランティア協会」の要職にあるA氏とも相談しながら、準備を進めてきています。
 今日は、1人のオーディエンスとして、そしてまた調査の仕方について、どのようなやり方が適当かを考えるために、「武満徹メモリアルコンサートⅩⅣ」に行ってきました。調査の仕方とは、今後、いくつかのコンサートで、オーディエンスの方への調査を行いたいと思っているのですが、その調査の実施方法のことです。オーディエンスとして音楽会を楽しみながら、どのように調査を行えば、あまり妨げにならないのかを考えたいと思ったのです。

 今日の午後は、大学にてレポートの採点などをしていました。目を使いすぎたのか肩がこってしまい、コンサート前なのにやむをえず鎮痛剤を飲んでから行きました。音楽会の前に神経に作用する薬を飲むのは何かイヤな感じです。しかも、大学からハーモニーホールまで自転車という荒技...笑。自家用車がないので、こういうときには堪えます。
 実は前売りを買っていなかったので、当日券を求めて6時前に行きました。しかし、意外によい席も残っていて幸運でした。ほとんどが発売日に売れてしまうという話でしたが、さすがに現代音楽は、やや厳しいのかもしれません。
 チケットを手に入れてからも時間があったので、ふらふらしていると、K氏やA氏にもご挨拶することができました。
 ホールの中に入ると、ボランティアの方々がたいへん一生懸命に、また手際よく仕事をされていて、ボランティアの方々の情熱がすぐに伝わってきました。オーディエンスの方々もボランティアの方の心配りによって心地よく過ごされているようでした。ロビーでは、グッズや出演者のCDなどがたくさん販売されていました。しかし...プログラムが2千円...私には若干痛かったです。ただ、内容は、よくあるおざなりな1千円プログラムよりははるかに充実していると思いました。

 曲目は、以下のとおりでした。
○ 武満徹 : 径(みち) -ヴィトルド・ルトスワフスキの追憶に-
○ 武満徹 : 揺れる鏡の夜明け
○ 猿谷紀郎 : すさのつらなり
○ 武満徹 : ヴァレリア
○ 原田敬子 : 消失点 II - b
○ 武満徹/細川俊夫編 : ア・ストリング・アラウンド・オータム

 私は、中学校の頃から現代音楽を「ときどき」聴いていましたし、武満徹のCDも2,3枚持っていますが、今日の曲目はどれも初めてでした。たぶん、現代音楽リスナーとしては、ビギナーに毛が生えた程度かと思います。よって、個別の曲の感想は差し控えたいと思います。たぶん、評価するほど耳が肥えていませんので。鎮痛剤も飲んでいましたし...笑。しかし、全体的な感想を少しばかり。
 現代音楽って、見て楽しむものだと思いました。プログラムの曲目説明にもありましたが、作曲者が、響きを考えて楽器の位置まで決めて書いている曲もあります。CDなどでは、そのあたりの位置関係がよくわからず、楽しみは減ってしまうのではないでしょうか。実際、「ヴァレリア」では、ピッコロ2本が左右に離れて座っているのですが、最初にピッコロが鳴ったときに、その音が鮮烈でたいへん驚きました。
 曲によって、かなり自由な楽器編成になっています。電子楽器もあります。1つ1つの楽器の音は知っているつもりでも、さまざまな奏法があり、それぞれに独特の音が鳴ることが面白かったです。同時に、現代音楽の作曲家というのは、たいへんだなと思いました。楽器ごとのさまざまな奏法と音色を知った上で、それらを組み合わせたらどういう音になるのかを(おそらくは)想像しながら書いていくのだと思います。また、今日のプログラムは小編成の曲ばかりでしたが、小編成であっても、多彩で、だれず、次々と展開していく曲作りは、なかなか厳しいのだろうなと思いました。しかし、いずれの曲も、それぞれに面白く、これまでに、室内楽では寝てしまうことが多かった私としては、ずっと目を開きっぱなしの状態に保てたというのは、曲と演奏が魅力的だったからというほかありません。
 武満徹以外の作曲家の作品が2つ演奏されました。いずれも、武満徹の曲と違うなと思われたのは、曲がはっきりしていたことだと思いました。「秋庭歌一具」を引き合いに出すのはやり過ぎかもしれませんが、武満徹の曲にある独特の隙間のようなものがないところが、その違いだと思いました。それらがより現代の曲だからなのかもしれませんが、ちょっとがんばりすぎかなという感じもしました。隙間という意味では、武満徹の「径」は、トランペットの独奏でしたが、ミュートを出し入れしながら演奏するその隙間とノー・ミュートからミュートを挿入する間のホールの残響がとても素晴らしかったです。(一度、ミュートを入れるのを外しかけたのも聴衆の意表を突く感じで、図らずもいっそう独特の隙間を作っていたのではないかと思いました...笑)ともあれ、2人の作曲家ご本人も来ておられて観客席におられましたが、曲が終わると、演奏者から作曲者に向けて暖かい拍手が贈られ、また、作曲者からも演奏者に拍手が贈られていました。現代音楽の作曲家にとって、このような形で自分の曲が取り上げられるかどうかは競争なのでしょうし(世に作曲科出身の人がどれだけいることかを考えれば想像に難くありません)、まして、サイトウ・キネン・フェスティバルという場であれば、格別な意味あいがあるのでしょう。「がんばりすぎ」な感じの曲が選ばれるのは致し方ないことなのかもしれません。しかし、どちらの曲もよい発想が含まれていたように思えました。ちなみに、小澤征爾氏も、座席で聴いておられました。
 それから、演奏家の方々も、みなそれぞれに素晴らしかったです。室内楽ほどの小さな編成の曲ばかりでしたから、演奏家の技量が大いに演奏内容に関わります。しかし、どれもよい演奏でした。正直なところ、海外にばかり目がいきがちだった自分を反省しました。小澤征爾氏という世界的な音楽家だけでなく、日本にはかなり分厚い音楽家の層があることを実感しました。しかし...、ポピュラー音楽ではないにせよ、もう少しプロモーションの仕方があるんじゃないかという気もしました。
 2時間ほどの間、現代の音楽実験場を見たような気がしました。武満徹が現代音楽の古典なら、彼の死後も現代音楽は、より現代的になってきているのでしょう。「武満徹メモリアルコンサート」というのは、ほとんど最新の音楽を聴ける実験場として、非常に貴重な場であると思いました。フェスティバルの1つのプログラムとして、14回も続いていますが、大いに意義のあるコンサートだと思いました。これからもずっと続いていくことを願ってやみません。ホールが満員だったというのも、音楽ファンの期待の表れだと思います。貴重なものを聴かせてもらったと思いました。

 コンサートが終わり、ロビーで少し息抜きをして、外に出ました。K氏と少しお話ししました。感想を訊かれましたが、すぐには変な言葉しか出ませんでした。その後、自転車で大学近くまで戻ってきて、食事をし、大学に戻り、今これを書いていますが、ようやくこれだけ言語化できるようになりました。しかし、やっぱり終わってすぐには言葉にならないことを実感しました。よって、そういうことを念頭に、われわれの調査も計画すべきであると思いました。オーディエンスへの調査法、調査法の新たな課題であると思いました。さあ、どうする自分。...ここ数日考えます。ともあれ、オーディエンスのみなさん、信州大学の「文化的イベントの心理・社会的影響に関する調査」のアンケートを手にされましたら、ご協力をお願いいたします。

 私と、学部の同僚で社会心理学の長谷川先生による、「文化的イベントの心理・社会的影響に関する調査」が始まりました。県内の文化的イベントに関わるさまざまな人たちや、当該市町村の住民の方々に対する調査票調査(アンケート調査)を行っています。これから、2,3ヶ月ほどかけていろいろなところでいろいろなデータを集める予定です。たまたまアンケートを手にした方、ご協力をお願いします。
 調査の詳細については、こちらをご覧ください。

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