それ以前から本屋の書棚で見かけていたのですが、朝日新聞の書評に簡単な紹介がされたので、読んでみる気になりました。日本語の書名は、『トイレの話をしよう:世界65億人が抱える大問題』となっていますが、英語の原題は、The Big Necessity: The Unmentionable World of Human Waste and Why It Mattersです。実際には、内容はこれら2つを足したような内容です。つまり、トイレの話だけではなく、下水や公衆衛生についても述べられています。トイレや糞尿処理という話題は、ふだん一般の人には避けられますし、公衆衛生の専門家たちも、水道を作って水を提供する話には関心を持っていますが、糞尿の処理についてはあまり認識がされていないようだというようなことが描かれています。
読み通してみて、これまで知らなかったことがたくさん出てきてとても知的好奇心をくすぐられました。また、私は、あまり他人のことを尊敬しない人間だと思いますが、この著者(イギリスの女性ジャーナリスト)をはじめ、この本の各章に出てくる主人公の人たちを尊敬に値する人々であると率直に思いました。それは、自分なら、訓練すれば、あるいは、やろうと思えば、こういう仕事ができるか、と問うたときに、自分にはとてもできないと思ったからです。下水の処理法を考えたり、発展途上国でトイレや下水道の普及に取り組んだり、そのような職業に就く人たちは、他の人々から厭われたりしていますが、このような人たちの、まさに陰の努力があってこそ、世界はより住みやすく安全で健康に生きられる場所になっているのだということが理解できました。
また、文体も魅力的です。英語の原著もよく書けているのでしょうし、訳もこなれていて、原著の魅力をよく伝えていると思いました。ともかく、各章に非常に具体的で印象的な話があり、内容が1つ1つ頭の中に残ります。
「はじめに」の部分では、この本で取り上げるトイレなどに関わる問題がざっと述べられています。この本を買おうか読もうか迷っている人は、この部分だけでも立ち読みしてみる価値ありです。
第1章は、日本のウォッシュレットの話です。2大メーカーがしのぎを削っている様子が描かれています。一方、ウォッシュレットは、欧米ではあまりはやっていないようでもあります。納得できる答えが用意されているわけではありませんが、なぜかを想像しながら読むのは面白いです。
以下、下水道ツアーの話、インドのカーストの中で不可蝕民にさえ不可蝕とされる手作業の糞尿処理人の話、バイオガスや肥料としての利用を巡る話、トイレにおける儀礼的無関心など文化との関連の話、各国の糞尿の処理の現状など、目から鱗が落ちるほど、これまで知らなかったが、しかし非常に重要であると思われる話が次々に展開されていきます。
私は、この本を読みながら、子どもの頃、たぶん、幼稚園か小学校低学年の頃、つまりは、1970年代の前半か半ば頃ですが、当時京都市の街外れの大通り沿いに住んでいたときのことを思い出しました。ある時期、下水道工事をかなり長期間にわたってやっていました。当時は、下水道という言葉だけを聞かされていて、それが何かもよくわかっていませんでしたが、そういえば、そのあと、水洗トイレになったような気もします。あの頃、下水道が敷設されたことによって、日本人の暮らしは、およそ今と変わらない感じになったのだと思います。その下水道ができるまでは、いわゆるぼっとん便所がありました。私自身には記憶がありませんが、両親の話では、昔、近くの農家の人が、肥を買いに来ていたそうです。この本でも、第7章あたりに、そのような農業について取り上げられていましたが、確かに下水道ができてからは、近くの田畑に肥だめを見なくなったような気がします。糞尿をどう処理するか、その技術や制度によって社会のあり方(その現れが、各国における伝染病による死亡率や寿命)が変わってくるというのは、非常に示唆に富んでいるように思われました。
この本は、分類からすれば社会学の本ではありません。ジャーナリストが書いたノンフィクションということになるのでしょう。しかし、今まで陰に隠されていた事柄の重要性をきちんと説いているだけでなく、トイレや糞尿処理という観点から、社会や世界のあり方を考えてみようとする点で、視点の一貫性もあり、社会学の本としてみても、一定の水準にはあるものだと思いました。
あえて若干のネガティブな側面をあげるとすれば、意外に読むのに時間がかかるという点でしょうか。読み応えがあるとポジティブに取ることもできるのですが、ページ数の割りには時間がかかりました。いろいろと考えさせられたからだと思います。読後にそれなりの疲労感がありました。しかし、これだけさまざまなことを考えさせられたのは、それだけ問題に重要性があり、また、本書がきわめて知的に刺激的であるからだと言えるでしょう。
読み通してみて、これまで知らなかったことがたくさん出てきてとても知的好奇心をくすぐられました。また、私は、あまり他人のことを尊敬しない人間だと思いますが、この著者(イギリスの女性ジャーナリスト)をはじめ、この本の各章に出てくる主人公の人たちを尊敬に値する人々であると率直に思いました。それは、自分なら、訓練すれば、あるいは、やろうと思えば、こういう仕事ができるか、と問うたときに、自分にはとてもできないと思ったからです。下水の処理法を考えたり、発展途上国でトイレや下水道の普及に取り組んだり、そのような職業に就く人たちは、他の人々から厭われたりしていますが、このような人たちの、まさに陰の努力があってこそ、世界はより住みやすく安全で健康に生きられる場所になっているのだということが理解できました。
また、文体も魅力的です。英語の原著もよく書けているのでしょうし、訳もこなれていて、原著の魅力をよく伝えていると思いました。ともかく、各章に非常に具体的で印象的な話があり、内容が1つ1つ頭の中に残ります。
「はじめに」の部分では、この本で取り上げるトイレなどに関わる問題がざっと述べられています。この本を買おうか読もうか迷っている人は、この部分だけでも立ち読みしてみる価値ありです。
第1章は、日本のウォッシュレットの話です。2大メーカーがしのぎを削っている様子が描かれています。一方、ウォッシュレットは、欧米ではあまりはやっていないようでもあります。納得できる答えが用意されているわけではありませんが、なぜかを想像しながら読むのは面白いです。
以下、下水道ツアーの話、インドのカーストの中で不可蝕民にさえ不可蝕とされる手作業の糞尿処理人の話、バイオガスや肥料としての利用を巡る話、トイレにおける儀礼的無関心など文化との関連の話、各国の糞尿の処理の現状など、目から鱗が落ちるほど、これまで知らなかったが、しかし非常に重要であると思われる話が次々に展開されていきます。
私は、この本を読みながら、子どもの頃、たぶん、幼稚園か小学校低学年の頃、つまりは、1970年代の前半か半ば頃ですが、当時京都市の街外れの大通り沿いに住んでいたときのことを思い出しました。ある時期、下水道工事をかなり長期間にわたってやっていました。当時は、下水道という言葉だけを聞かされていて、それが何かもよくわかっていませんでしたが、そういえば、そのあと、水洗トイレになったような気もします。あの頃、下水道が敷設されたことによって、日本人の暮らしは、およそ今と変わらない感じになったのだと思います。その下水道ができるまでは、いわゆるぼっとん便所がありました。私自身には記憶がありませんが、両親の話では、昔、近くの農家の人が、肥を買いに来ていたそうです。この本でも、第7章あたりに、そのような農業について取り上げられていましたが、確かに下水道ができてからは、近くの田畑に肥だめを見なくなったような気がします。糞尿をどう処理するか、その技術や制度によって社会のあり方(その現れが、各国における伝染病による死亡率や寿命)が変わってくるというのは、非常に示唆に富んでいるように思われました。
この本は、分類からすれば社会学の本ではありません。ジャーナリストが書いたノンフィクションということになるのでしょう。しかし、今まで陰に隠されていた事柄の重要性をきちんと説いているだけでなく、トイレや糞尿処理という観点から、社会や世界のあり方を考えてみようとする点で、視点の一貫性もあり、社会学の本としてみても、一定の水準にはあるものだと思いました。
あえて若干のネガティブな側面をあげるとすれば、意外に読むのに時間がかかるという点でしょうか。読み応えがあるとポジティブに取ることもできるのですが、ページ数の割りには時間がかかりました。いろいろと考えさせられたからだと思います。読後にそれなりの疲労感がありました。しかし、これだけさまざまなことを考えさせられたのは、それだけ問題に重要性があり、また、本書がきわめて知的に刺激的であるからだと言えるでしょう。


