2010年1月アーカイブ

社会学概論の授業で,システム論について教えていたとき,ポジティブ・フィードバックとネガティブ・フィードバックに言及しようと思った.しかし,ポジティブ・フィードバックの例についてよいものがすぐに思い浮かばず,ネットで検索しようと思って「ポジティブ・フィードバック」でググってみた.しかし,そこで目の当たりにしたのは,この言葉のあまりにもひどい使われ方,という以前に,この言葉の定義が相当に歪められて使われているという事実であった.

グロービス・マネジメント・スクールのウェブサイト(http://gms.globis.co.jp/dic/00930.php)(2010年1月27日)によると,

---ここから---
ポジティブ・フィードバック
カテゴリ:人的資源管理
positive feedback

①被評価者の意欲や能力が良い方向へ増幅されるフィードバック。
②被評価者にとって望ましい内容のフィードバック。


ポジティブ・フィードバックは、もともとの工学的な用法を踏まえると、①の意味で用いるほうが正確であるが、一般に②の定義で用いられることが多い。
例えば、「期待以上にがんばった」「給与を大幅に上げよう」などである。

②の意味でのポジティブ・フィードバックは、和やかな雰囲気で行われることが多く、また摩擦も生まれにくい。
一方で、往々にして意欲や能力のさらなる向上につながらない場合も多いため、伝え方の工夫が求められる。

■ 関連語
フィードバック、ネガティブ・フィードバック

---ここまで---

となっている.
これが元凶か,これを引用したページが非常にたくさんある.

私の見解としては,というか,システム論について知っているならば,①も②も本来的な使い方ではなく,相当な誤解を含んだ使われ方であることがわかると思う.
①が嘘なのは,別に「良い方向へ増幅される」だけでなく,悪い方向に増幅されることだってあるということである.②が嘘なのも①と同様で,わざわざ「①の意味で用いるほうが正確」などというほどのことでもない.どちらも本来的に嘘であるから.
本来的には,良いとか悪いとかいうことには関係のない概念である.
まあ,ビジネスとか心理学の業界の人たち(このように括るのは心苦しいので,そのうちの心ない人たちとでもすべきか)が,何かもっともらしい意味で使い始め,知らぬ間にそれらの業界では標準的な意味として定着してしまったのかもしれない.

ところで,おそるおそる同サイトで「ネガティブ・フィードバック」についても引いてみた(http://gms.globis.co.jp/dic/00851.php).

---ここから---
ネガティブ・フィードバック
カテゴリ:人的資源管理
negative feedback

①被評価者の意欲や能力が望ましくない方向へ増幅されるフィードバック。
②被評価者にとって望ましくない内容のフィードバック。


ネガティブ・フィードバックは、もともとの工学的な用法を踏まえると、①の意味で用いるほうが正確であるが、一般に②の定義で用いられることが多い。
例えば、「期待以下のパフォーマンスだった」「降格してもらう」などである。

②の意味でのネガティブ・フィードバックは、被評価者にとって聞きたくない内容であり、意欲をそぐ可能性も高いため、ポジティブ・フィードバックに 比べ、伝えるのが非常に難しい。人格攻撃しないのはもちろん、厳しい内容を伝えながらも期待を示す、常日頃密なコミュニケーションをとっておくなどの工夫 が求められる。

■ 関連語
フィードバック、ポジティブ・フィードバック

---ここまで---

ここまで来ると,完全に嘘である.ネガティブ・フィードバックによって「増幅」が起こるとな(爆).よくもまあぬけぬけと,こんなひどい嘘が書けたものである.こんな使い方をしているビジネスマンや○○心理学者には,反吐を吐きたいと思う.何が「もともとの工学的な用法を踏まえると」だ.どこをどう踏まえたらそんなことになるのだ.全く話にもならない.失笑を買うだけである.これでは,工学を含め自然科学の研究者と,ビジネスや心理学の心ない人たちとの対話はほとんど不可能ではあるまいか.
私は,授業においては,ウェブ上には上記のようなことを書いているサイトがいっぱいあるけれども,そのような使われ方は,本来的な意味ではないと言っておいた.最近の学生たちは,少なからずウェブ上の情報をそのまま鵜呑みにしてしまうので,注意喚起にはなったと思う.

結局,ウェブ上では,社会科学におけるポジティブ・フィードバックの好例を引くことを諦めてしまった.

これを試験の前日に書いている.試験が終わったら公開しようと思う.

 研究者なら誰しも,自分の名前をググったことがあるだろう.ヒット件数が上がったり下がったりするのに一喜一憂するのである...苦笑.「ああ,俺様の人気が落ちた」とか思いながら.
 最近,自虐的に思うことがある.「俺からワッツの翻訳を取ったら,何が残るのだろうか」と.アマゾンでは索引がないとか酷評されながらも読まれ続けているらしいかの翻訳.自分の名前でググると5千件以上もヒットするのだが,そのうちのほとんどがワッツの翻訳がらみである.
 しかも,私はワッツと面識がない.正確に言えば,私は彼を見たし彼の話を聞いたことはあるが,面と向かって自己紹介したことはない.彼は私のことを知らないだろう.いや,もう少し正確に言えば,翻訳をするときに挨拶的なメールを送ったことがあるが,ぞんざいにされたので,もうあえてこちらからどうこうという感じでもないかなと思って,そのまんまである.まあ,あの本が日本語訳されて,勝手に彼にその印税の一部(半分)も入ってくるのだろうから,「日本にいる金づる」として名前くらいは認識されているのかもしれない.ともあれ,ワッツとはせいぜいそんな程度の関係である.
 しかしともあれ,ググるとあれだけの件数がヒットするのだから,何も事情を知らない人が,「この翻訳者ってどんな人?」などと思ってググると,「ああ,この手の話の専門家なのね」と思う可能性が高い.

 まあそれは致し方ないところではあるのだが,私自身のことで言えば,ものを考えるときにスモールワールドの話を想定して考えることは多いけれども,それそのものについて言及するようなものは,ここ数年書いていないと思う.私自身は,ここ数年,中越地震の被災地に行ったりして,「生」(「なま」でも「せい」でもある)のネットワークの研究をやっている.「仮」(「ヴァーチャル」)のネットワークの研究は若干やってはいるがアウトプットは出していない.
 はっきり言えば,「仮」のネットワークの話をやろうと思ったら,情報系の研究者の技術について行けない.同じことをやっていては負ける.そう,私はあの翻訳を出してから,「仮」の話は眺めるだけにしたのである.彼らが入ってこられないところで仕事をしようと.それがニッチというものだと.
 自分の専門は,ネットワーク分析だということにしているが,スモールワールドの専門だというつもりは全くない.しかし,そのように,周囲は見るのだろう.

 では,社会学という学問領域の中で,私はどう見られているのだろうか.たぶんだが,「どうも胡散臭いやつ」というふうな感じではないかと思う.ここでもワッツの翻訳がじゃましている気がする.社会学の中でのスモールワールド問題って,とりあえず今のところ,みんな様子見で遠巻きに見ている感じである.「本当に,スモールワールドって社会学的にどうおもしろいのか,よーわからん」,「あのオレンジの本,まさに腫れ物の色だよね.さわらん方がいいよ」ってな感じである.んー,実は,私もオレンジ野郎マンセーではないのだが,社会学者からも,オレンジ野郎と同類ときっと思われていると思う.

 ともかく,自己認知と他者からの認知にかなりギャップがある感じがするのである.私自身の意図とは無関係に,私が今いる場所から引き剥がされ,勝手にどこかのカテゴリに押し込まれているように感じるのである.「意図せざるかけ替え」なんつって.(ああ,ところで,ワッツの訳書では「掛け替え」にしているけど「架け替え」の方がいいんじゃないかと,最近思っている.)

 近年,ネットワーク分析とウェブマイニングの領域が合体しつつある.そこでそういうお仕事をしている人にお願いなのだけど,私をワッツから引き剥がして,正しい場所にロケートしてくれる技法を編み出せますかね.ヒット件数にはとらわれずに.

 それとも,私自身が私のことを誤解しているだけなのか....まあ,何でもいいです.自己定義はしないようにするたちですから.

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