2010年2月アーカイブ

 ここ2年あまりの自分自身の激動のためか、オリンピックの見え方が違ってきている。
 金・銀・銅とかいうことにこだわらなくなった。スポーツ選手ならば、誰しも全く怪我なく無傷でいられることはないのだろうということが実感として理解できるようになったからだ。スポーツにせよ学問にせよ、がんばってやるからこそ怪我をするのだということが実感できるようになったということだ。また、行きつけの店のマスターのところのボン2人(ともにかなりのレベルであったらしい)が、ともに大けがをして1人は競技続行を断念せざるをえなくなったとかいう話を聞いたということもある。メダリストというのは、怪我もしたのだろうけれども、打ち所がまだよかったとかいうような幸運もあるのだろうなと思うのである。もちろん、そもそもの身体能力が多少とも優れていたということはあるのだろうけれども。選手たち本人は多少ともメダルを目指してやるのだろうし、周囲も期待するのだろうけど、順位はともかくとして、それぞれの選手がそれぞれに努力してそこまでたどり着いた晴れ姿をみんな賞賛してあげればよいと思うのである。中には、怪我からの復活についてマスコミが特に取り上げる人物もいるのだが、それ以外の人が怪我をしなかったり、比較的に努力をしていないということではないのだと思う。
 とはいっても、手放しでその理屈を全ての人々に適用しようとは思わない。「世界で一つだけの花」は、やはり嫌いである。不可抗力的な場合を除けば、無為にだらだら過ごしていている人に対して、花だと愛でる必要はない。

 社会学者であるから、こういうときに「国家」というものの存在が気になるわけである。ナショナル・チームに選抜されるということになると、当然国家からの支援を多少ならずとも受けることになる。たとえば、各国の人口とメダル数の比が一定ではないことからしても、このことは見て取れる。応援が国家単位での応援となりがちなのは、ある意味では、応援する側が選手たちに対して、「お前ら国家から投資されているのだから、ちゃんとアウトプットを出せよ」と言っているのだとも読める。また、自国の選手が活躍すればするほど、それを応援する国民のナショナリズムを昂揚することになるかもしれない。それは「意図せざる結果」だ、などというのは白々しい。そういうものである。かつて、モスクワ・オリンピックのボイコットなどということがあったが、冷戦下でなくとも、スポーツは国家とそもそも切り離せない関係になっている。オリンピック選手ともなれば、選手1人1人の肩に国家の重しが乗っかっているのである。
 また、オリンピック選手ともなれば、企業などの組織からふだんの活動の資金を援助してもらっているということもある。オリンピック選手にもなれば、国家からの援助だけでなく、企業・組織からの援助も受けていることが多い。これを排除してしまうと、選手育成はままならないことになるケースが多いだろう。スポーツはスポンサーである企業・組織と切り離せない関係になっている。オリンピック選手ともなれば、選手1人1人の肩に企業・組織の重しも乗っかっているのである。
 そういった重しを全て取り除いてしまったとしたら... はたしてテレビに映っている面々の多くは残っているのだろうか。大いに疑問である。
 あるブランドが好みなら、その企業が支援している選手を応援するということはありうるだろうか。先日、スピードスケートで2人の男子選手が入賞したとき、長野県内のスポンサー企業がテレビの前で応援している姿がNHKのローカル・ニュースでは映し出されていたが、全国放送では映されず、県外のその選手の出身地の小学校だか中学校が映っていた(少なくとも私の見た限りでは)。オリンピックでは、スポンサー企業の名前は封印され(特に日本以外の場合)、国家だけが前面に出てくる。オリンピックを見据えて国籍を変えるということもよくあることである。なぜ民間の支援は消され、国家という枠組みだけを残さないといけないのだろうか。
 選手たちが、国家や企業の支援を受けてまで自分を伸ばそうとする意欲と努力は買いたい。しかし、それは、企業や国家を越えて、世界中、どの選手も同じではないだろうか。私はそう考えると、マスコミが、オリンピックやワールドカップなどになると、国家という枠をあまりにも強調しすぎるように思えてならない。他国の選手を応援することももっとあってよいのではないかと思う。グローバル時代のあり方として、自国選手ひいきの報道や応援の仕方をどのようにすべきか、もっと考えてもよいと思う。救いは、今コーチが国家を越えつつあるということである。それにしても、お金をどれだけ積まれたかといった事情もあるのかもしれないが、それはともかくとして、グローバル時代のあり方として1つの方向性を示唆しているように思える。
 私がアメリカに留学していたころ、オリンピックの報道は、日本のそれと比べて、明らかに扱いが小さいように思えた。野球やバスケなどの「いつもの放送」が、だいたい普段どおり行われていた。扱いのギャップに驚いた。あれでは、オリンピックを通じてナショナリズムを昂揚するといったところまではいかないように思われた。明らかに日本の報道は、ナショナリズムの昂揚を過度に煽っているように感じられる。
 蛇足だが、国家という枠組みを強調する一方で、政治関心は選挙の投票率の漸減傾向から見ても高くない。外枠だけ強調しても、その中身は今ひとつパッとしないのも気になるところだ。
 ずっと悩んでいた来年度(2010年度)の授業だが,結局,悩みに悩んだあげく,次のようにすることにした.

・「社会分析論Ⅱ」:私がやってきた研究をたどりながら,批判的に文献を読んだり研究を発展させる方法を学んでもらうような講義とする.
・「経験社会学基礎Ⅱ」:カテゴリカルデータの収集法と分析法,インフォーマントの正確性について学んでもらう講義とする.
・「現代社会論演習Ⅱ」:社会シミュレーションを学んでもらう演習とする.

というわけで,何といっても,「現代社会論演習Ⅱ」の社会シミュレーションの演習である.これまで,無理ではないかとずっと躊躇してきたが,ついに一歩を踏み出してみることにした.吉と出るか凶と出るかは全くわからない.
当初,演習ではなく,「経験社会学基礎Ⅱ」という講義科目でやってみようかと思っていたのだが,講義科目で何も身につきませんでしたということになると,かなりやばいことになると思い,演習科目でやることにした.この方がやや気楽であるし,手取り足取りやることもしやすいので,適切であると判断した.
その一方で,当初「現代社会論演習Ⅱ」では,文化的活動に関わる演習をと思っていたのだが,それはやめることにした.社会調査で学生を現場に出すような授業は来年もあるので,それ以上のことをするよりは,目新しいことをやらせてみる方が間口を広げるという意味でもよいのではないかと考えた.
不安も大きいが,うまくいったときの期待も大きい.信大に来て1年半になろうとしているが,学生の能力はまずまず高いとふんだので,不可能ではないと思っている.

「社会分析論Ⅱ」は,まあそんな感じ.同じようなことを形式的に教えるよりは,こちらが経験した思考過程を追ってやる方が教えやすいし伝わりやすいと思う.こちらに来てすぐに同じような授業をやったが,同じようなものと考えてもらえればよい.

「経験社会学基礎Ⅱ」は,実は,留学したときに最初に受けたKim Romneyの学部の授業の再現に近いことをやろうと思っている(大学院生でも,学部の科目を一定の範囲内で取ることができた).自分の中ではおもしろい授業だったので,それを再現するだけでもおもしろいと思ってもらえると思うし,自分なりに一工夫してやっていきたいと思っている.

まあそんな感じ.社会学の教員が2人しかいない環境というのは,教える側からしてもチャレンジングなことである.社会学部とかだと,専門の教員がそれぞれの専門にそって好きなことを教えればよいのだが,2人という環境だと,それだけで一通りの概論と社会学の考え方と調査法と個別領域の社会学を教えていかねばならない.学生が入れ替わる2,3年間というタイムスパンの中で何をどう教えると効果的かということを考えながらやっていくことになる.自由度は高いので,いろいろ考えるのは楽しいが,どんな学生を育てていきたいかという方向性を見据えながらやる必要はある.
ともあれ,春から何をするか,一応外枠は決まった.肝心なのは中身である.がんばってやっていきたいと思う.
 6月29日(火)~7月4日(日)まで,イタリアのTrentoで開かれるSunbelt Conference (International Network for Social Network Analysis) で発表することになりました(アブストラクト審査あり).Social Capital Lecture (20min)で発表することになりました.タイトルは,"Social Capital of Volunteers of A Classical Music Festival: How Is It Related with Participation in Other Events and Activities?"です.2年ぶりの国際学会.Sunbeltは,99年以来11年(ほぼ一回り)ぶりになります.楽しみです.
 発表内容としては,松本市で開催されているサイトウ・キネン・フェスティバルボランティアに対する調査の結果です.ということは,つまり,2009年に行った「文化的イベントの心理・社会的影響に関する調査」の一部を報告することになります.皆様の調査へのご協力に感謝しつつ世界の人々に松本とSKFを宣伝してきます!

 7月19日(月)にFoS Club主催による第一回FoS Club Meeting(東大山上会館)にて発表させていただくことになりました.私は,「人間社会科学の分野」ということになりますが,他には,「理論科学の分野」と「実体科学の分野」というのがあり,それぞれお一人ずつの発表があります.
 FoSというのは,「日本学術振興会」が主催の「先端科学シンポジウム(Frontier of Science)」のことです.私は,2003年に「日米先端科学シンポジウム(JAFoS)」に「参加研究者」として,2004年に「スピーカー」として参加させていただきました.それだけでも光栄なことでしたが,このほど,FoSの参加者がメンバーとなるFoS Clubが発足され,その最初の会合での発表のお誘いを受けました.少し畏れ多い気もしたのですが,2004年に発表したシミュレーション研究と,その後私がやってきた現場における研究との関係を考えてみるよい機会になるかなと思っています.

 職業柄,人や物を手放しに賞賛するということはほとんどないのだが,このほどのシマンテック社(ノートン)のサポートは,かなり感動的だった.

 先日,Windows XP SP3上にNorton Internet Security 2010(以下,NIS)を入れてから,Windows Explorer (Explore.exe)の中で右クリックすると,explorer.exeが落ちてしまうという現象が現れた.あまり信じたくない気分でNISを削除してみたところ,問題の現象は起こらなくなった.やはりNISのせいかと思い,再度NISをインストールすると,再び右クリック問題が発生するようになったのである.
 現象をやや詳しく書けば,右クリックでも,右ドラッグだと問題ないとか,ファイルをコピーしようとすると,ファイルメニューから「コピー」を選んでも,Ctrl+Cにしても落ちるとかいうこともわかってきた.

 まずはネットで検索.しかし,シマンテック社のサイトにそのような記述はなかった.一方,「右クリック 落ちる」などで検索すると,いくつかそれらしいものがあがってきたが,マイクロソフト社はそのような問題が時折発生することを認識しつつも,根本的解決に至っていないようであることがわかってきた.

 そんなわけで,シマンテックも知らない,マイクロソフトも知らないという状況の中,問題が解決されるだろうかと思い,とりあえず,シマンテックのサイトから,メールフォームで状況を説明してサポートを求めた.
 すると,数十分程度のうちにメールが来て,こうしてみてくださいと指示を受けた.ちなみにそのメールには,中国人らしい人の名前が担当者として出ていた.2度ほど指示を受けたが,やはり解決には至らなかった.すると,電話をしますので日時指定をというメールがあり,その翌日の午後に日時指定をした.ちなみに電話は中国の大連からすると書いてあった.「ほう,大連からね.」何かイヤな予感が.たどたどしい日本語で指示を受けるのは結構しんどいのでは...と思ったのである.
 当日,指定時間帯の中で電話がかかってきた.やはり,中国人と思われる名前を名乗っていた.しかし,確かに発音には若干中国人的なくせは感じられたが,挨拶や敬語の使い方は非常によく訓練されていて,日本人以上に丁寧という印象であった.時代的に言えば,何十年かさかのぼったくらいの丁寧さであった.
 電話サポートとともに,実際に自分のパソコンに入ってもらって(バーチャル・デスクトップ的な感じ),自分のパソコンを触ってもらいながらの相談であった.最初,症状を10数分くらいで説明して,電話は一旦切ることになったが,その後もしばらく,パソコン上で2,30分くらい作業をしている様子が映し出されていた.
 私は,Windowsの仕組みについては,それなりにわかっているつもりだ.別の作業をしながら,サポートの人の動きを見ていたのだが,問題の現象を発生させ,Windowsのログを参照し,という作業をし,2,30分くらいで原因がわかってきた.私自身も,「ああ,これか」というふうに思った矢先に,再度電話がかかってきて「わかりました」と.
 結局,私が使用していたサードパーティのファイル・マネージャのソフトウェアとNISのコンフリクトが原因のようだということだった.そのファイル・マネージャは,Windows 98のころから使っていたもので,かなりアウトデートなものだったので,そろそろ別のものを見つければよいかと思い,ファイル・マネージャを削除したところ,問題は無事に解決されたのだった.

 最初,マイクロソフトが投げ出していた問題をシマンテックが解決できるのかと疑心暗鬼だった.「まあ,無理でも仕方ないかな.最悪の場合,ノートン先生から別のものに乗り換えればいいかな」と思っていた.しかし,シマンテックのサポートは,非常に論理的に問題に迫り,解決していった.見ていて技術的にプロフェッショナルな感じがした.
 また,既述だが,日本語もすばらしかった.非常に丁寧な言葉遣いで,日本人以上に美しい日本語を使っていた.信大にも留学生がいるが,留学生以上に美しい日本語で,いったいこの人たちどういう訓練を受けているのかと不思議に思えるレベルだった.少なくとも,そのレベルは,日本語検定1級とかいう以上にすばらしいものだった.英語で言えば,TOEFL満点級くらいかと思えた.
 私は10数年前に留学していたころ,Windows 95の時代だが,ソフトウェアやハードウェアのサポートで結構ひどい目にあっていた(サポートから逆ギレされたり,結局解決できなかったりした)ので,サポートに対してよいイメージはなかったのだが,今回のシマンテックのサポートは,そのイメージを覆すものだった.諸手を挙げて感動でした.これからも,ノートン先生について行こうと思えるサポートだった.
 中国のGDPが日本を上回ったなんていうのは,まだ序の口で,これからはまだしばらく中国のパワーは世界を席巻していくのだろうなと思わされる出来事であった.貧富の差はまだ相当に大きいようではあるが,「非常に能力の高い人たち」に相当する人が日中の人口比の割合で存在するとしたら,そのポテンシャルはすごいものだと思わざるをえない.留学中も中国人留学生が「えげつない」くらいにテストの点数にこだわるといったところを見ていたが,あのような調子でガツガツやっていた人たちが今の中国の発展を支えていると思うと納得できる気がした.これからは,中国の時代だなと率直に思った.今の学生たちの目はアジアに向いている気がするが,まだ私の世代だと欧米に向いているように思う.なかなかその意識は切り替わらないようには思うが,着実にアジアの時代が来ていると思う出来事であった.

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