今年も必死のパッチで(古語)調査実習の報告書を完成した。この過程で苦労したことなどをぼやき混じりにまとめておこうと思う。全国の社会調査士を出す大学の担当の先生方にも、また、社会調査士を目指す学生さんにも、某信州大学担当教員のぼやきをお届けしたい。皆様の多少の参考になれば、なんてことは実はどうでもよくて、ただぼやいてみたいのである。野村前監督と同じ誕生日(もちろん年は違うが)の性である。
信大社会学分野では、ここ数年、自治体と協定を結ぶなどして、調査実習を行ってきた。そのあらましについては、うちのM先生が社会調査協会の機関誌『社会と調査』第3号に記事を書いておられるので、それを見てほしい。ともかく、自治体の協力を得ながら調査をするので、非常にやりやすいところが多い。今年度の青木村調査の場合には、村内放送などでも呼びかけてもらっていたようで、回収率は75%を超えるなど、ちょっとこれ以上望めないくらいであった。
しかしそれは、協力していただいた自治体に対して、「きちんとした」お返しをしないといけないということでもある。その中でもっともたいへんなのが、とにもかくにも年度内に報告書をあげなければならないということである。
前任校では、社会調査士の課程を担当していなかったので、調査をやったら、回答者のうち希望者に対して数ページ程度のフィードバックを行う程度であった。それも、院生にずいぶんと任せるところもあった。わたし自身はSSMなどの調査にはかんでいないので、本格的な報告書をまとめるという作業は、信大に来て初めてだった。その報告書は、社会調査協会に提出しないといけないのに加えて、協力してもらった自治体にも納めなければならない。前者だけならば、正直なところ何てことはない。他大学のもののレベルもだいたい知っている。うちの学生でさえ、「何だこんなものでいいの」なんて言っている。真の相手はそんなところではない。協力してもらった自治体である。協定を結ぶということは、その自治体に対してそれなりに「役に立つ」ものを提出することを要求されることなのである。
信大の社会学分野では、だいたい次のような形で報告書をまとめていく。まず、学生がデータの分析を行い、それを班ごとにまとめて提出してもらう。教員は、分析時にはアドバイスをし、提出されたレポートに対してコメントをし、その都度再提出してもらうという過程を何度か繰り返す。各班から提出されるレポートは、およそ15~20ページくらいである。この分量は、わたしがコミットしている雑誌でいえば『理論と方法』の1論文くらいに相当する。査読をしたことのある人ならイメージしてもらえると思うが、研究者が書く論文ではないので、分析そのものがまずいこともあるし、文章が稚拙なところもある。(ただ、文章の稚拙さという意味では、自分もこのブログのような感じの文章書きなので、学生と比べてあまりものが言える立場ではない...苦笑) また、学生は、レポート用の文章とか報告書用の文章とかいってもよくわかっていない。(まあ、かくいうわたしも、そんなによくわかっているわけでもない。) このような状態で、今年は3班分の調査票調査の分析について担当した。(M先生は、3班分のインタビュー調査を担当した。)
原稿を印刷屋さんに渡すのが、今年の場合、3月中旬。学生とのやりとりができたのは、実質3月初旬まで。そのあと、わたしは、数理社会学会の学会事務局をやっていることもあって、春の学会大会の準備があったり、今年の場合は、受託研究の方でも報告書を出さないといけないといったこともあったりして、多忙を極めた。ここ2週間くらいは、平日はほぼ連日大学に泊まり込みであった。うちの大学には勤務時間表を提出しないといけないという何ともひどい制度があるのだが、もう今日の時点で今月分は200時間に迫る勢いである。過労もいいところである。たまにうちでベッドで横になって寝られることの幸せなことよ。3月初旬からひいた風邪が治りきらないとか、湿疹がかゆくてたまらないとか、弱り目に祟り目、泣きっ面に蜂、という状態であった。
自分では、そんなに要領の悪い方だとは思っていない。しかし、こんなにたまってしまうと、オーバーロードである。一週間に3,4日の徹夜は慣れているが、毎日ほとんど寝ずに2週間も過ごすと、さすがの自分でも意識が朦朧としてくるのがわかる。ちょっとパソコンに向かっていたら、1時間のつもりが3時間だったとかいうようなこともある。現代風「時計仕掛けのオレンジ」である。
とまあ、そんな感じでもって、報告書をまとめるのである。
学生に班で作業をさせるメリットとデメリットは、次のようなところにあると思う。まず、メリットとデメリットのどちらが大きいかと言えば、メリットの方が大きい。特にうちのような、ほとんどの学生が一人暮らしといった場合、大学が閉まっても、どこかの学生のところで作業をやっているようである。チキンゲームでいつも負けるやつが犠牲になるのだが、いつまでに何を出せというと、学生たちは何とかしようともがくのである。多くの場合。しかし、デアデビルばかりの班もあり、その場合は最悪である。打っても響かない。とにかく、学生の中でチキンは誰かを把握して、チキンを必ず1人は班に入れることが重要である。あと、2月3月になると、3年生は「就活」を武器に、仕事をしなくなる。肝心なときに仕事をしてくれないので、もともとチキンな自分は、結局その仕事を引き受ける羽目になるのである。クソ、C班め! ...たぶん、そのうち、大学院生を毎年1人ずつくらい生産できるようになると、ちょっとは楽かもと思ったりするが、これは密かな野望である。←と書いた時点で、すでに学生には読まれている。
話を戻すと、班でやらせるメリットは、やっぱりアイディアを出し合ったり、わからないところを教えあったりして、全体のパフォーマンスはずっとよくなることが多いということである。これにつきる。教員が1から10まで手取り足取り教えることはできない。班にすれば、お互いに教えあったりして、かなりのレベルまで自分たちだけで到達してくれるのである。実際、因子分析や重回帰分析というのは、学部レベルではゴールであると思うが、ただSPSSを動かせばよいというものではない。行き届いた配慮も必要である。そのあたり、わたしの目で見て100%までは到達しなくても、7,8割くらいまで到達できる。また、全員ではないが、知らず知らずのうちに、SPSSのシンタックスが書けるようになっている学生も多い。互いのコミュニケーションのために必要になるのだろう。こちらから、シンタックスも一緒に出せというと、それなりに対応してくれる。いやーもう、信大の社会学の学生は、本当にどこに出しても役立つこと間違いなしである。こんな優れたうちの学生たちを落とす企業はバカだというほかはない、と密かに思っている。
次にデメリットだが、さぼるやつはさぼるということである。同じ班で1年間やるので、ずっとさぼりつづけることはふつうの人間ならできない。しかし、そういうことができてしまう人も実はいる。こちらが秘訣を教えてほしいくらいである。対応策は、わからない。ただ、わたしは小心者なので、強く言うことはない。しかし、...こういう人ってたいてい1年くらいは...危なすぎるので以下略。いや、まじめにいうと、学ばずに終わってしまう学生が少数ではあるが出てくることである。ただまあ、そういう学生は、どういうやり方をしてもそうであるので、班だからだめだというようなわけではない。むしろ、1人だと諦めてしまう学生を拾い上げることができる方がずっとメリットとして大きい。
そんなわけで、ふだんから、学生たちがどういう活動をしているか、きちんと目配りをしておくことが必要である。
ちっとも話が進まないな。
ともあれ、班で分析させるところからである。多変量解析が好きな学生というのが出てくる。自分が学生のときもそうだったが、重回帰分析を習うと、ものの見方が変わるような気がするようである。重回帰分析にはまった学生たちは、猿のように重回帰分析を使いたがる。重回帰分析の最大のポイントは、多重共線性のチェックにあると思う。学術論文ではVIF値が表記されることはないが、習得段階ではVIF値を意識させたり、場合によっては併記させたりすることが重要であると思う。教科書によっては、VIF=10まではOKなんてのもあるし、多くはVIF=2くらいまでを許容範囲としている。しかし、個人的な経験では、VIF=1.6が目安だろうと思っている。わたしは友人の研究者たちにも「VIF=1.6だ」と言い続けていることもあって、「辻基準」などと言われているとかいないとか。しかし、本当に、1.6を超えると、何か変な感じがするケースが出始め、2を超えると完全にアウトというような感覚がある。農村で「年齢」と「居住年数」を同時投入してみると、だいたい2を超える。どっちかが+でどっちかが-なんてことになるはずである。教科書にあるVIF=2は、完全にアウトということなのであって、実際には、1.6あたりから変な感じのものが出始めると思っておいた方がよい。学生には、VIF=1.6くらいを目安にさせる。1.6を超えたら声をかけてもらってチェックするようにしている。まあ、あとは、好きにやれという感じである。分析段階から、変なことをやっていないかきちんと目配りをしておくと、あとでこちらが全て分析をやり直さないといけないという可能性をいくらか減じることができると思う。こうして、1つ1つの分析については、まずまずの感じの分析ができてくる。
今回の反省は、その後のことである。各班のレポートは、だいたい、3つ4つくらいの分析を含んでいた。ここで問題は大きく2つである。1つは、それらの分析が独立していてバラバラで、全体としてのストーリーがないということである。ただ3つか4つかの分析が羅列してあるという感じなのである。それを報告書の形に持って行くのは、なかなか至難の業である。卒論だと、1人が複数の仮説を立て、それらは、ほぼ自動的に(というほどでもないが、まあだいたい)流れになるわけだが、複数の学生からなる班で作業をさせると、全体の統一感よりも、まず各自がやりたいことが優先されるので、出てきたものはまとまりのないものになってしまうのである。ひどい場合には、どうやってまとめたらよいのかわからない。教員だからできるといったものではない。できないものはできないと思う。しょーがないから、エイヤっと切り落とす何てことをしないといけなくなる。そこで、今回思ったことは、仮説は3つまでにすることである。2つだと簡単。ともかく、2つの仮説の共通点を見つけて一本の線でつなげばよい。3つの場合も、流れがストレートであれば、起承結的に、ややまとまりがなければ、起転結ないし起承転的にすればよい。ちょっと曲げる感じである。しかし、4つになると、どうしてもまとまらなくなるものが出てくる可能性が強い。カーブを投げて、3つまで的に当たっても、4つめがシュートじゃないと当たらないというのでは、話がぐちゃぐちゃである。隣の分野のS先生も、仮説がたくさんあって、脈絡がないので、どうやってまとめてよいのかわからないといったことを述べられていた。本当に同感である。各班の仮説は3つまで。今後はこれを徹底し、自分たちでストーリーを描いてみるように指導してみるのがよいと思う。
ところで、仮説は、ちゃんと作らせることが重要である。「○○と××は関係がある」といったものは不可とすべきである。必ず、「○○が増えると××は減る」といったように正か負の方向をもった仮説(交互作用があってもよい)を作らせることである。理由はこうである。「○○と××は関係がある」といったことは、バカでも言えるからである。どんなバカでもその程度の安直なことはとっさにでも思い浮かぶ。しかし、正と負のどちらの関係かまで考えろというと、それは単純ではなくなるからである。「えー、そんなんじゃバカでも言えるよ。『食ったら腹がふくれる』とかさ。」 まあ、確かにそういうものもあるかもしれん。しかし、そういうことってわざわざ論文にするために必死になるような問題じゃないよね。「風が吹けば桶屋が儲かる」ってのは? それはちょっと因果の連鎖が遠すぎるよね。一度の研究では無理だね。まあ、どういう問題が検討するに値するかどうかは難しいところもあるが、ともかく、方向を含む仮説を考えろというと、学生たちは、ああだこうだ、ああでもないこうでもない、と考えを巡らすようになる。ここでも、班でやるのはよいことである。自分の考えが他者にも納得してもらえるかどうかをチェックしながら進められるからである。論理に飛躍がありすぎると、「ええ、何で?」と言われてしまう。少なくとも班の中で誰もが納得できるような仮説を作り出せたとき、彼らの手元には、思考時に出てきたパス図やら、ある結果に対する原因の候補の羅列がある。それがすなわち、重回帰分析に入れるべき説明変数となる可能性が高いのである。つまり、仮説を作りながら、同時に、将来的にどういう分析をすることになるのかまで同時に見通せるようになるわけである。もちろん、その間にある質問紙調査の過程で、どの質問が原因の部分であり、どの質問が結果となるか、また、さらに、どのような質問を統制変数として入れなければならないかまでわかるようになるのである。最初の仮説を徹底的に考えることはきわめて重要である。そこがいい加減だと、後が続かなくなる。あるいは、続いてもしょーもないことしか出てこない。仮説の段階で、最後によい結果を得られるか、すでに大部分が決まってしまうといってよい。ともかく、仮説段階でじっくりと時間を取ることが重要である。
反省の2つめは、仮に仮説が直線や曲線でつなぐことができても、学生たちはそれぞれの仮説について分業で分析することになるので、統制する変数が、それぞれの分析においてバラバラになってしまうことであった。たとえば、一方では、村への愛着という目的変数に対して、居住年数を統制する。もう一方では、村の行政への関心という目的変数に対して、年齢を統制するといったばらつきが生じてしまうのである。しかし、そのようなレポートをもとにして、報告書の形に仕上げようとすると、何か気持ち悪いので、全ての分析においてなるべく統制する変数を統一しておいたほうがよいと思うようになるのである。たとえば、全体として、年齢ではなく居住年数を統制することにしようといった判断をすることになる。そうすると、結局のところ、分析はたいていやり直しになってしまうのである。これは、今まで気づかなかった点である。自分が論文を書くときには、どの分析についても、なるべく統一的に統制変数を決めるというようなことを、我々は意識的にか無意識的にかやっている気がする。しかし、学生たちは、放っておいたら、そんなことはお構いなしである。「学生のやった分析に、全部手を入れなければならない」といった嘆きの声を学会の懇親会で聞くことがある。それはなぜかというと、学生がそもそも分析手法について根本的にわかっていないという場合と、学生はある程度は理解しているし、1つ1つの分析は間違っているわけではないのだけど、全体としてまとまりがないという場合があるのではないかと思う。前者については軽くクリアできるレベルの学生のいる大学であれば、後者については、もしかすると、学生に注意喚起をすることで、ある程度改善されるのではないかという気がするのである。
長くなったが、これで班で行う作業のメリット・デメリットという話から迂回してきた意味もわかっていただけよう。要は、班で作業させるときにはそれなりに注意が必要であるということである。まだ気づいていないこともあるかもしれないので、また、思いついたら追記するなり別の記事を書くなりしようと思う。
ともあれ、朦朧としながらも編集の作業が終わった。印刷したものが配布されるのは、来年度の調査実習の初回だろう。毎年、信大社会学では、2年生と3年生の2学年が協同して社会調査実習を行っている。今年度メインでがんばった3年生は4年生になるわけだが、とりあえず、自分たちが書いたものが、どれだけ変貌を遂げたのかを詳細に検討してほしい。それがよい勉強になるだろう。また、今の2年生は、特に調査票調査の分析については3年生任せだったと思う。4月からのSPSSの授業(SPSSで多変量解析ができるようにする授業)では、報告書に載った分析を再現してみることによって、今年度やったことの意味をきちんと理解できるようにしていくつもりである。
しかし、ようやく一区切りがついた。これにかかりっきりだったので、他の仕事が全然できていない。あと10日でやらないといけない仕事量に、再び呆然とするところである。