2010年4月アーカイブ

 全く意味のない話なので,読まない方がいいかもしれない,と一応警告しておいてから本題に入る.いつでも読むのをやめてもらってかまわない,と再度警告しておいてから本題に入る.

 最近,気になっていることがある.私の研究室のある同じフロアにあるトイレにある1本の「毛」である.いつからそこにいるようになったのかはっきりとした記憶はない.しかし,少なくとも今年に入ってからはある.入試でバタバタしていたときにはすでにあったから,丸3か月くらいは,少なくともそこにいるのである.
 正確にどこにいるかというと,2つある男子の小用便器の左側の方で,下部の丸いふた(そこから排水溝へと続くあのふた)のところである.奴はふたに挟まって流されずにずっとそこにいるのである.
 とにかくすごい生命力である.生物ではないが,渾身の生命力を感じさせるのである.これまで何人の男性が奴に向かって小便を浴びせてきただろう.春休みだったこともあってそれほど利用者は多くなかったかもしれない.しかし,仮に1日20回くらい利用されているとすると,3か月で20×90=1800回である.1800回の試練に耐えて,まだ奴は流されずに踏ん張っているのである.

 入試の頃,そいつを流してみようと頑張ってみたが,ちっとも成功しない.何度頑張ってもダメだった.もとの持ち主は,一生毛には苦労しないほど剛毛なのだろうなと思う.
 掃除のおばちゃんもおばちゃんである.ちゃんと掃除してるのか,と思うが,もしかすると,おばちゃんも奴に気づいていて,私と同様,「おおよしよし,今日も無事だったかい」などと思いながら,そこだけこすらないようにしているのかもしれない.

 今では,奴に少しずつ愛着が湧いてきている.「やあ,こんちは.今日も元気そうだね」という感じで,奴に挨拶代わりの小便をかけてやるのである.奴は喜んで小躍りする.
 私は,長期休暇中だろうが,授業期間中だろうが,泊まり込みをすることが多い.夜に顔を合わせると,「こいつも夜遅くまで頑張ってるな」と感じてやる気が出たりする.

 奴はいつまでそこにいるだろうか.小便に流されるのが先か,小便と化学反応を起こして溶けてしまうのが先か(そもそも溶けるものなのだろうか),この文章に気づいた事務方がおばちゃんに連絡して抹殺するのが先か.どこぞに生えていた「ど根性大根」とかよりもどうでもよいものだとは思う.こいつに何の価値もないとは思う.
 しかし,たかが毛,されど毛,である.
 この春休みは忙しすぎて,ほとんど何も読めなかった.たぶん,私は研究者としては致命的に本を読むのが遅い.前任校の別の学部にいたある人は,バスの中でも本を読んでいる姿をよく見かけたが,車酔いしないのかと案ずる一方,本に対する執念を感じたものだが,私にはそんなものは皆無である...苦笑.本に書いてあるようなことは,自分で考えればよいとかテキトーなことを思ってごまかすからである.
 さて,表題のこの本だが,たまたま本屋で見かけて昨夏くらいに買って積ん読状態だったものを読んでみたという次第である.一言で言えば,日本人の「名前」がどのように変遷してきたのか,またその背景は何かといったことを書いたものである.
 うちの学部にも歴史の研究者は大勢いらっしゃるのだが,恥を忍ばず開き直って言えば,私には崩し字は読めないし,古文書を読んだこともない.うちの歴史系の学部生以下である.(「歴史系の専門家の先生方,こんなのが同僚でごめんなさい」としか言いようがない.)そんなわけで,歴史系の話となれば,単なるアマチュア好事家の根拠のない話も,専門家の話も,本質的に何が違うのかよくわからない.買う前に著者の経歴は見るけれども,果たしてそれでどれだけの判断ができるのかもよくわからない.この著者の経歴も,言葉は悪いが全くよくわからない.そんなわけで,読みながらも,「えー,ほんまかいな」とか,「まあ,鵜呑みにはせんとこ」とか思いながら読んだわけである.
 明治以前の名付け方がどうであったかということ,また生涯を通していろいろな名乗り方が比較的自由にされたこと,それが明治になって1つの姓と1つの名とすることになったこと,その反動で雅号などを称する人が増えたり減ったりしたことなどが大きな流れである.そのあたりのことは私自身が検証する術を持たないので,ただ信じるしかないわけだが,出典が不明とか,論拠が今ひとつよくわからないところもあり,半信半疑とならざるをえなかった.
 第6章は,明治以降の人気の名前の変遷である.このあたりになると,社会学的に読める部分もでてきて,疑いは根拠を持って大きくなる.たとえば,「明美」という名の盛衰について,昭和32年からベスト10入りしたが,「風俗産業の源氏名の定番となるにいたって,わが子の名としてはふさわしからずということになり」凋落したとあるが,源氏名効果がどのくらいあるのかについては,どんな形で検証しているのか全くわからない.確かに何かの流行歌の歌詞に読み込まれたものがあった記憶があるが,そういったことがどれだけの社会的効果をもたらすのかは,そもそも検証方法が確立されていないということもあると思うが,わからない.源氏名うんぬんは,単なる根拠のない推測に過ぎないように思われる.
 また,昭和50年代の名前は,タレント名やアニメの主人公の名前を「そのまま引き写しにした」ものが多く,平成にはいると「漢字のイメージを重視する傾向」になるという.そのあたりも名前1つ1つ検討したのかよくわからないという感じがする.さらに,近年の当て字的な名付け方については,「起源をたどれば劇画やアニメに行き着くであろう」というが,起源をどのようにたどればよいのかという方法論上の問題がクリアではなく(実際に何らかの具体的な方法でたどってみたとは書かれていない),単なる推測にすぎないのではないだろうか.これでは,俗説でしかない.
 社会学を専攻する学生は,卒論のテーマを考えるときに,映画やファッションなどを取り上げようとすることが多いが,彼らが構想初期の段階で決まって言うのは,「どのような映画が作られるか(人気があるか)は,その時代の雰囲気と関係があります」というようなことである.しかし,このような言明は,他の分野はいざ知らず,社会学では,ひどくたたかれることになる.どのような方法をもってすれば,そのようなことが言えるのかがわからないからである.資料を集めればよいということでは,許されないことも多い.その資料が特定の時代を「代表」していると言えることをどうやって担保するのかという問題がつきまとうからである.学生たちは,当初,「質的分析」を行えばよいというようなことを考えがちだが,重要なことは分析方法以前に資料の代表性である.
 この著者の本当の専攻が何なのかはよくわからないままだが,全体として感じることは,結局,代表性の問題であるように思われる.自分の言いたいことにそって場当たり的に例を提示するというやり方を,私はかたくなに拒否してしまうのである.やろうと思えば,私は著者の主張と全く逆のことを例を使って示すことができるかもしれない.例を挙げるだけでは,根拠としては全く不十分なのである.
 そんなわけで,私が評価しうる範囲において,この本の内容をそのまま受け入れることは,私にはできなかった.また,過度の一般化かもしれないという留保が必要かもしれないが,私の評価できない歴史的な部分についても,どこかしらに怪しい記述が多いのではないかと疑ってしまったのである.
 新書には当たり外れが大きいが,これが当たりか外れかはよくわからない.それは,ひとえに,論拠がきちんと示されていない記述が多すぎるからである.その意味では外れであるが,論拠がきちんと示されれば当たりに化ける可能性もある.まあしかし,現状では外れと言わざるをえないだろう.
 制作スタッフ7人のうち私の知っている学生が3人も関わっているフリーペーパー『隙間』のvol.1が発行された.
 少し前から,彼らがそういった活動を始めているのだということは聞いていた.しかし,具体的な中身がどういうものなのかについては全く聞かされていなかった.4月5日,その学生の1人からブツを受け取った.その場では読まず,うちに持ち帰り,先ほど一通りそれなりに丁寧に読んだところである.
 野暮なので記事内容そのものについて評するのはよそう.
 扉を開けると「繋がり」の話で始まる.「おお,自分が専門にしているネットワークの話ではないか.」それがわかると(わかったつもりにすると),全体のコンセプトはわりと明快である.それを「隙間」と呼ぼうが何と呼ぼうが,それはお好きにどうぞ.
 しかし,である.いずれの記事からも,制作に関わった学生たちの切ないほどの無縁感が伝わってくる.社会は彼らが考えるほどに断片化されているだろうか.私には,やや誇張があるように感じられた.むしろ,社会が断片化しているのではなく,彼ら制作スタッフ自身が社会から切り離されていると(勝手に?)感じているように思われるのである.それは,大学生という年代の人々が,別に彼らでなくても,私もそのくらいの年代の頃に感じていたように,自分がまだ海のものとも山のものともつかぬ状態で自分探しをしている構図そのものであると思う.ウェブサイトにあがっている制作スタッフの編集後記の長文であることが,実に切ない.
 自分も学生時代こんなんだったっけ? 自分はもっと柳に風的にスマートに,逆に言えばあまり物事を考えずにやり過ごしたように思う.さらりと生きられない彼ら.彼らをそこまで追い立てる欲求とは何なのか.おもしろいのは,随所に前言否定があることである.「オレたちは大学でお勉強はしてきたけど,それだけでは満たされない残基がある」とでも言いたげだ.確かにそうかもしれない.少なくとも私の知っているその3人についていえば,インタビューの技法や文章のまとめ方といったことは習ってきたが,教員に頼らず最後まで自分たちだけで責任を持ってアウトプットをした経験はなかったのかもしれない.「自分たちの無能さに甘えたくない」というような強迫症めいたメッセージが伝わってくるのが痛々しいのである.
 「フリーペーパー」というのは,洒落かと思う.それは,彼らが大学という枠組みに縛られず,解き放たれたい(set me free)という欲求を暗示しているように思われた.しかし一方で,彼らはまだ自分が何と繋がればよいのか模索しているようにも見える.
 ワッツ流に,ランダムに繋がればよいと言い放つことは簡単だが,それでは,あまりに物理学的ジョークだと思うのかもしれない.人間は繋がりに意味を求めるから.
 学生にとって専門分野を決めることは悩みに悩んだ上での「必然」的意味を持っているのかもしれない.しかし,学生を受け入れる教員にとっては,ある年度にどんな1年生が入学してくるのか,また,その翌年,どんな2年生が自分の担当する分野に配属されてくるのかは,ほとんどランダムに決まっているように感じられる.しかし,そんなランダムな奴らでも,1年,2年とともに過ごせば,情もわく.私は,ランダムに出会った奴らとも一期一会の精神で接している.私には,それで十分である.彼らにとっては,ランダムな繋がりは意味があるのだろうか,ないのだろうか.
 なぜ,彼らは印刷媒体という形での出版を望んだのだろうか.どこでどのように読んでもらうことを期待したのだろうか.彼らは不特定な5千人(5千部)からランダムに(といっても松本市内だろうが)繋がられることについて,どのように考えているのだろうか.そのことにどのような意味があると思うのだろうか.
 それにしても,読んで肩が凝った.私など,そんなにあらゆるものに意味を求めなくてもよいと思うから気楽だけど,彼らはしんどいのだろうなと思う.しばらくはもがけばよいと思うが,最後は,あらゆる可能性の中から何か1つ(少数)を選び取らないといけない.少し離れた場所から応援はしていたいと思う.
 今年度、共通教育科目(いわゆる一般教養)で「震災と社会」という講義を行います。現在、2人の震災体験者の方にもお越しいただくことをご快諾いただき、日程も定まりました。
 2004年10月の中越地震からはや5年半。そのころから何度も何度も現地に行き、いろいろな人から話を伺い、そして、地震の前と後とで都合2回の大規模調査を行い、他にもさまざまな調査を行ってきました。それらについて、そろそろまとめをしないといけないと思い、まずは講義をすることにして、自分自身が逃げられないようにし、どのような形になるかはわかりませんが、近いうちにそれをもとに単著にまとめたいという気持ちがあります。
 私が最初に被災地に入ったのは、すでに一冬越した2005年の7月でした。運良く4月に科研が当たったからですが、夏休み前までは授業などに追われて現地に入ることがままならず、ようやく7月に旧栃尾市役所(現長岡市栃尾支所)にインタビューに行きました。それからは、わりと足繁く現地に通うようになりました。数人の区長さんに話を半年おきくらいに聞きに行きました。
 なぜ、マスコミで取り上げられた山古志村や小千谷市や川口町ではないのか、なぜ栃尾市なのかというと、それは、たまたまですが、震災前の2002年に栃尾市で郵送調査を行っていたからです。被災地の1つであった栃尾市で震災前後の比較を行うことができるならば、それはこれまでにほとんどだれも取ることができなかったタイプのデータを取ることができるという期待があったからでした。
 そして、2006年に実際に、2002年に調査に協力していただいた方々に対して、もう1度調査をすることができ、本当に貴重なデータを手に入れることができました。
 しかし、分析は難航しました。まず、サンプル数があまり多くないので、あまり凝った分析はできません。比較的単純な分析を積み重ね、これは間違いなく言えそうだということに到達するまでにはかなり時間がかかりました。...意味がわからない人も多いと思いますが、統計分析というのは、サンプル数が多い方がよいことになっていて(あるいは前提となっていて)、逆にサンプル数が少ないと、ブレが大きくなって詳細な分析をすることが難しくなってしまうのです。 やっとの思いで、ようやく1つの論文をまとめたのが、2008年の秋でした(『社会学研究』所収)。
 ちょうど2008年秋から、私は信大にやってきて、演習科目で震災について取り上げたところ、多くの受講生があつまり、また、そのうちの数人と現地に視察に行くなどしました。さらにそのうちの1人は、今春、私とは違って旧山古志村でインタビューや調査票によってデータを取り卒論を書きあげました。うれしいことに、2008年の秋に視察に連れていった学生たちの多くは、翌年も当地の地区運動会や祭りに参加したり、上述の卒論生の研究を手伝って現地に調査票の回収に行ったりと、本当に優しくたくましく成長してくれました。ともかく、少なくとも社会学の学生にとっては、社会の激変というのは、興味関心をひく題材であったのだと思います。
 私自身にとっても、中越地震が起こるまで、数理社会学とかネットワーク分析といった、その見た目からして冷徹そうな感じのする領域で仕事をしてきたのが、一転して、もっとも泥臭い領域に足をつっこむことになりました。被災地は農村であり、農村社会学や村落社会学という領域では、これまでもっぱらインタビューなどの質的調査が行われてきました。その中に数理や計量を持ち込むことができるのか、という挑戦がありました。最初は、農村については本当に素人同然だったのですが、現場で知らないことを教えてもらいながら、少しずつ学んでいったというのが本当のところです。そのうちに、別に農村の仕組みや農村社会学特有の概念をある程度理解してしまえば、農村だって、計量分析に乗らないわけではないと思えるようになりました。むしろ、計量ならではの切れ味があって、それはそれなりの力を持っていると思うようになりました。
 私の場合には、震災をネットワークが急激に崩壊したところから始まり、それが次第に埋め合わされていくという過程と捉えて研究を行ってきました。そのような視点から震災を捉えていくことによって何が見えたかについてお話ししたいと思います。
 また、やろうと思えば中越地震だけでも1学期間講義することはできるかなと思ったのですが、社会学的に都市と農村との比較を行うという意味でも、阪神淡路との比較を行うことは重要だろうと考えました。私の実家も阪神淡路大震災で半壊の被害を受けたということもあります。私自身はその頃留学していたので、地震の揺れそのものの体験はしなかったのですが、その2ヶ月ほど後に春休みに一時帰国し、たいへんな様子を見て回りました。また、あの震災が我が身にどのような影響を与えたかについても自分なりに考えることはあります。ともあれ、都市と農村の単純比較ではありませんが、異なる場所で地震が起こると、どのようなことが問題となって現れるのかについては、違いがあるように思います。そういったことについても注意をしながら講義を進めたいと思います。
 私は、この講義を社会学の専門科目とはしませんでした。1年生でも取れる共通教育科目(いわゆる一般教養科目)としています。それは、学部というような枠を越えて、理科系の人には、地質学や土木工学や建築学といったこととは異なる視点から震災というものを捉えられるようになってほしいということ、そして、文化系の人には、震災というものを題材としながら、それぞれの学問の視点からそれについて考えられるようになってもらいたいということがあったからです。
 この科目は副題には、「社会学入門」という言葉が入っています。震災の話はもちろんですが、包括的にとはいかないものの、社会学のいろいろな領域について紹介するようにしたいと思います。
 最後に、たぶんこの科目は今年限りです。来年度以降何をするかは全く決めていませんが、もし繰り返しするとしても、震災をテーマにするのは再来年以降でしょう。同じことをやるのは白けますし。このようなテーマに関心がある人は、来年度にと思わずに、今年度取ってしまってください。
 2010年度が、特に何も変わったこともなく始まりました。2年前の今頃のことを思えば、はるかに安定した身の上。1年前の今頃のことを思えば、年度が一巡(以上)したことでとりあえず勝手がわかったという安心感。多少失敗しても、多少遅れても、ボスがどっしりと、しかもさらっとしてくれるフォロー。この何事もない感じは、そういったところから来ているのでしょう。年度初めのこの緊張感のなさは、ちょっと不思議な感覚です。これまで、新年度といえば、「よっしゃー、やるぞー」っという感じだったのが、嘘みたいです。普通な感じで特に何事もなく始まる新年度です。

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