1月29日の午後に,今年度の「信州大学放送公開講座」の2回目として,ぼくが登場することになりました.今年度は,東日本大震災,長野県北部地震に伴う栄村付近の震災,6月の松本市南部を中心とした地震などがあり,長野県内もあちこちで災害に見舞われました.例年は多様な内容らしいこの講座でも,震災一色になったようです.今年のテーマは「地域と共に考え,学ぶ防災:知って備える防災への提言」となりました.ぼくも「災害時における地域ネットワークの重要性について」というタイトルで話をします.
 実はテレビを忌避していました.顔がいいので人気で過ぎたら困るなとかいうこともないわけではないのですが(笑),いろいろな人から,こちらが伝えようとしているようにはならず,編集の都合のいいところだけ切り取られてストーリー作られるよとか聞かされていたからです.政治家だって,話を断片的に引用されてスキャンダラスに放送されるといったことを常日頃見て知っているわけで,同じようにやられるとイヤだなと.
 しかし,今回は副学長直々に頼まれてしまったので,お引き受けせざるをえない状況に追い込まれてしまったわけです.なので,こちらも少し防衛策を講じました.こちらから積極的にはストーリーを語らないということです.結果的にかなりの程度はディレクターさんに話を作ってもらい,それに合わせた形になったかと思います.しかし,放送に先だって少し内容をいただきましたが,まあそれなりにできているのではないでしょうか.少なくとも,当初思っていたよりは編集はずっと穏当かなと思いました.ただ,何となくパンチがないようにも思いましたが.まあ,これは,ぼくのうだうだ話す悪いくせが祟ったのかもしれません.
 だけど,言っておくと,忌避していたとはいうものの,この30分の番組を撮るために,ほとんど丸二日くらいかかっています.一日は十日町に取材に行きましたし,もう一日は時間は短かったけれども大学で何時間か撮りました.ミーハーなぼくとしては,いつもテレビで見るアナウンサーの方を至近距離で見られて,ちょっとうれしかったということくらいは告白しておいてよいでしょう.別にぼくは心底から堅物ではありません(笑).
 というわけで,ローカル放送ではありますが,まあこのあたりで修行して,そのうち全国区でデビューします.顔がいいからもてるやろうな.(ウソ) でも,わざわざテレビに出て訴えなければならないことってそんなに多くありません.とりあえず,これが終わったら,色気づいてないで頑張って研究します.むしろそっちの方が本業です.頑張って,売れない本書こう(苦笑)

追記:
 しかし,思ったほど悪くなかったと思ったのは,ディレクターさんはじめ,すごくちゃんと働いておられたのを目にしたということと,実際,全体では数時間におよぶ取材を,うまく30分に収めるディレクターさんてやっぱり相当な能力をお持ちであるとわかったことです.
 もちろん,縮小の段階で,枝葉末節とかが切り落とされて,すきっとした感じになりすぎてしまうということはあるかと思います.だから,その部分が伝わらないとイヤだと思う研究者がいるのもわかります.今回は,とりあえずテレビ取材がどうなっているのかということが実体験としてわかったので,これからのことは,また考えようと思います.

昨年一昨年と「終わりゆく秋」を書いたが,この時期は,次第に寒い冬へと変わっていく前に,少しでも葉っぱのある木々を楽しんでおきたいという気持ちにさせられ,ついついシャッターを押してしまう.他の季節よりよいというよりも,葉っぱのある季節が名残惜しいという感じなのかもしれない.
今年の10月は,昨年と比べるとずっと楽だった.昨年は,県内10市町村の調査のために,県内あちこちをサンプリングにまわっていたが,今年は2回ほどの講演があった程度で,基本的にキャンパスにいた.今年はゆったりとこの季節を楽しむことができてよかった.

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上,左側が10月12日,右側が10月28日.

2週間ほどの間に,あっという間に違った感じになるのがわかる.今年は,昨年一昨年以上に紅葉・落葉が早く進んでいるのがわかる.
それにしても,今年はなぜこんなに名残惜しいという気がするのだろうか.

ところで先日10月28日の筋雲は本当に美しかった.記念に少しだけアップ.

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 先日,3年時編入試験がありました.最終的な合否が確定したタイミングに合わせて,学生を取る側からの意見を若干書ける範囲で書いておきたいと思います.来年度以降の受験生の目安となればと思います.(なお,これは公式見解ではありません.)

 まず,信州大学人文学部では,TOEICあるいはTOEFLの点数を願書提出時に提出してもらいます.これは,ただ出してもらっているだけではないということです.あまりに悪いのは問題です.社会学だから(英文学や英語学じゃないから)関係ないと思うのは間違いです.
 学科試験について.信州大学人文学部では,2年次より専門分野に振り分けられて専門的な教育が始まっています.うちの社会学分野では,社会学の概論的な授業に加えて,社会調査や,統計学といった専門科目を2年生が終わるまでに受講します.3年時編入試験は,3年次に編入するわけですから,2年次に社会学分野の人たちが勉強するのと同程度のことは,最低限勉強しておかねばならないのは当然です.
 論述部分については,ただたくさん書けばよいというのは端的に間違っています.きちんと問題の意図を読み解き,それに応じた解答をしないといけません.核心部分を外したことをいくらたくさん書いても,点数にはなりません.無関係ではないが,核心に迫っていない解答ではいけないのです.
 面接試験について.他県の大学に行ったので3年次から地元に帰ってきたいとか,社会調査士の資格が取りたいとか,そういう理由はあまり印象がよくありません.地元に帰ってきたいことと,社会学が学びたいということとは関係ありませんよね.そんな個人的な理由,オレたちは知らないよとしか言いようがありません.また,社会調査士が取れる大学なんていくらでもありますよね.別にうちである必要なんてないですよね.うちの社会学分野の特徴を調べてみましたか.そして,あなたの関心があることが,信州大学の社会学分野では十分にできそうでしょうか.別に教員と同じ関心を持つ必要はありませんが,教員の書いた論文などを見てみて,自分のしたいことができそうかどうか,判断してみてください.
 厳しいことを書きましたが,決して3年次編入生を受け入れたくないわけではありません.というか,社会学分野には,コンスタントに3年次編入生が入ってきます.われわれの提供できるものと,学生のやりたいことが一致すれば,こちらは受け入れる準備があります.ひるまず,しかし,きちんと準備して受験してください.
 皆さんの健闘を祈ります.

 昨年の9月に,前任校の教え子で,現在東北大学の行動科学研究室にいる稲垣佑典君が,彼の修論をもとにして書いた論文が,日本社会心理学会の学会賞を受賞しました(受賞論文は,稲垣佑典,2009,「都市部と村落部における信頼生成過程の検討」『社会心理学研究』25(2): 92-102. ).そのときの喜びは,昨年のブログ記事にも書きました.今年もまた,彼の1学年下で,現在東京大学の社会心理学研究室にいる高木大資君が,彼の修論をもとにして書いた論文が,同学会の奨励論文賞を受賞しました.受賞論文は,以下のとおりです.

高木大資・辻竜平・池田謙一,2010,「地域コミュニティによる犯罪抑制:地域内の社会関係資本および協力行動に焦点を当てて」『社会心理学研究』26(1): 36-45.

 昨年の9月,稲垣君が受賞し,その後,高木君に向かって冗談半分で,「来年は,高木君な」と言った覚えがあります.それが,見事に実現してしまって,狂喜乱舞しました(やや大げさ).
 実は,私は,昨年の稲垣君の受賞以来,「ブログを書いていい気になってるけど,どうせ「フロック」じゃないの?」と思われているのではないかという強迫観念にさいなまれていました.また,自分も選考委員の1人だったので,やましいことは何もしていないけど,なんか冷めた目で見られているのではないかという妄想もあったりして,落ち着かない感じもしていました.その意味で,私が全くノータッチの今年,2年連続で教え子たちが受賞してくれたというのは,私にとっても胸をなで下ろす結果でした.

 そろそろ下條村への視察じゃないけど,自称「再生工場」のぼくの研究室に視察に来る人が出てきてもいいんじゃないかとか冗談で思ったりしています.
 去年も同じことを書きましたが,ぼくはFDとかを信じていません.護送船団的に底上げするようなことばかりで非常につまらないと思っています.でも,抜きんでた成果を上げる人材を育てるためにどうすればよいかを語れる人なんてほとんどいないでしょう.それは,そういった実績なしには言えないことですから.まあ,自分自身に受賞歴がないとかいう恥ずかしい側面はありますがw,①自分自身が何かの間違いで何かうまいことアカデミアに入り込めたとかいうレベルだと無理でしょうし,②単純なクリティカル・シンキングを教えればよいとかいうものでもない(それは護送船団向け),とは言えると思います.たぶん,同じオーケストラで同じ曲をやるのでも,指揮者が違えば,できるものが違うといったことに近いのかなと思います.

 しかし,前任校の教え子たちは,高木君の世代でおしまい.後続はありません.現任校は,まだまだ芽を出すために水をやっている段階です.でも,もう受賞とかいうようなことに気を取られることは卒業しようかなと思っています.もちろん,ちゃんとした教育は続けていきますが,いつまでも同じことをしていても仕方ない.ちょうど,母校の中学校の吹奏楽部の渡辺秀之先生が,全国大会で5金を達成してから,金を取るためではなく,重要な作品に取り組んだように,自分にとって重要だと思える問題に取り組んでいきたいなという心境です.たぶんそれが,30代と40代との違いかなという気がしています.

 先日行われた日本社会心理学会の「東日本大震災を乗り越えるために:社会心理学からの提言」で3人の話題提供者の1人として報告してきました.

 最初の話題提供者の飛田先生は,福島でまさに被災した当事者として,現在進行中のさまざまな問題に対して,現実的にどのように対応し,またそのような渦中にあって研究者としてどうあるべきかという内省的なお話でした.私も大いに共感しました.しかしこれは,阪神・淡路のときも,やはり多くの在住の研究者が思ったことなのではないかと思います.その意味では,阪神・淡路から,生活者でもあり研究者でもある自分がどのように振る舞うべきかという問題は,何ら進展せず,そのまま残っているのだということを痛感しました.被災地在住の研究者が,どのように感じ,行動したのかをアーカイブ化しておくことは重要なことではないかと思いました.

 3番目の中谷内先生は,特にリスク認知という点から,今後の人々のリスクを感じる閾値が高くなってしまうことが危険だといったお話をされました.従来の調整と係留のヒューリスティックという認知社会心理学の知見の応用ということになりますが,このような形で社会心理学が実際に役に立っているのだということを実感しました.
 私は今,社会心理学というより社会学の方に身を置いている立場ですが,社会学の理論が比較的直接的な形で政策提言や人々の実践に結びつくことは,可能なのだろうと思いますが,意外に明示的なものは少ないように思います.そういった仕事ももっとあってよいのではないかと思いました.
 この点,飛田先生が,最後の方で「ミドルマン」の存在について触れられていました.これはおそらく,社会学者ラザーズフェルドの提案に沿ったものだと思われます.社会学や社会心理学の理論と実践をつなぐ専門家がもっと育ってもよいように思いますが,どのようにしてミドルマンを育てるのかといったノウハウはあまり蓄積されていないように思われます.これは1つの課題でしょう.また,そういった人たちの需要があるならば,オーバードクターやポスドクがたまりにたまっている問題についても解決の糸口になるかもしれません.

 私は2番目の報告でした.私が新潟県中越地震の前後で行ったパネル調査の結果と,そこから考えられる対策についてお話ししました.拙著『中越地震被災地研究からの提言:未来の被災地のために』は,このパネル調査やインタビューの結果をベースとして,何とか実践に活かしたいという思いから出させていただいたものです.今回は,対策の部分よりも実証部分の方にウェイトを置きました.
 それはそれとして,私がこのシンポジウムに呼んでいただいたきっかけは,3.11の地震以降,私はすぐに現地への提言を自分のブログ(このブログ)を通して始めたことでした.これを関西学院大学の三浦麻子先生が日本社会心理学会の「東日本大震災を乗り越えるために:社会心理学からの提言と情報」で取り上げてくださり,そのような縁から今回の登壇へのお話につながっていったのだと思います.当初,すでに震災研究から身を引いている身として,場違いなことにならないかと心配もしたのですが,今後の復旧・復興につなげていくために,提言部分だけでなく,その背景となる実証研究の部分も含めてお伝えしたいと思ってお引き受けしました.やっぱり,フロアからは「過去の話?」とか「淡々としすぎ」という白い目も気にならないわけではなかったですが,過去との対比は必要だと思いお話ししました.あとでじわっと効いてくる話であったならばと思います.

 さまざまな学会で,今,東日本大震災に関わるシンポジウムなどが開催されています.それぞれの学会が何とか貢献しようとされていることがわかります.しかし,それらを全体的にまとめることは課題だと思われますし,また,全体像をバランスよく考慮してうまく政策につなげていくことも必要なのではないかと思いました.
 雑駁な話になってしまいましたが,シンポジウムをめぐる感想の記録として書きとどめておきます.
 先日の第84回大会で発表してきました.タイトルは,「長野県下條村の特異性:長野県内10市町村調査結果から」でした.昨年からいただいている基盤研究(B)「地域間格差と個人間格差の調査研究:ソーシャルキャピタル論的アプローチ」(研究代表者:辻)の予備調査として行われた,昨年の長野県10市町村調査をもとに,下條村の特異性について計量分析を試みたものでした.
 なぜ下條村か,ですが,現村長が子育て支援政策を重点的に行い,それが好転して,合計特殊出生率が2を越える自治体となり,全国の300以上の町村などから視察が来るようになった,非常に特異な自治体であるからです.
 具体的には,子どもの医療費無償化を早期に実現したり,若者定住促進住宅を建築し安価で提供するなど政策を行ってきました.これらを視察しに来た自治体では,このような政策をまねて実行に移すところも現れています.しかしながら,そういった自治体で,出生率が大いに上昇したというわけではないようです.それは,なぜだろうか,というのが出発点です.

 サンプリングなどについての詳細は,パスします(詳細は要旨集を参照).
 やった分析といえば,とにかく,市町村を水準として,1要因分散分析をやって,全体が有意なものについて,多重比較をやり,下條村が「イケてる」ところと「イケてないところ」を抽出し,そこから妥当と思われるストーリーを考えました.
 結局,下條村は,図書館と公共ホールを除くと特に利便性が高いわけではありませんが,村役場は,住民の意見を取り入れたり要望を聞いたりする姿勢が評価されています.また,市民へのサービスは,子育て支援だけでなく,他の側面での評価も高いです.住民は,地域のイベントには参加する方であり,結束型の閉鎖的な社会関係資本が充実しています.特に住民については,若者定住促進住宅に入居するための要件として,男性が消防団に加入することなど,家族間の交際も促進することで,子どもの世話をし合うような住環境を作り出すことに成功していることがポイントであると思われます.他にもさまざまな交流の仕掛け作りをしており,それが全体として子育てしやすい環境を作り出しているのだということです.
 つまり,ただ単に医療費を無償化したり,若者定住促進住宅を作ったりという政策を打つだけでなく,住民間のネットワークづくりに村が関与することによって,高い出生率を生み出しているのではないかというわけです.

 発表では言わなかったことですが,私は,青木村にも大きな可能性を感じています.青木村も教育について重点的な政策を行っており(詳細は,信州大学人文学部の社会・情報学講座で2008年度と2009年度に行った調査の報告書を参照),住民も教育については評価が高いです.また,ともに地域の中心都市のベッドタウンという位置や,若者定住促進住宅の建設にも類似性が見られます.あとは,住民間のネットワークづくりをどうするかという点にあるのではないかと思われます.
 ともあれ,全体として,箱物や制度を整えるだけでなく,そこに住む人々のネットワークを作っていくことにあるのだろうということです.

 それから,地域社会学について.これまで地域社会学では,あまり大々的な地域間比較をやってこなかったのではないでしょうか.1つの自治体についての研究は多々ありますが,比較を通してこそ見えてくる自治体の特徴というものもあります.今回の報告はそういったやり方が特に有効であることを示せたのではないかと考えています.

 去る9月5日(月)~7日(水)まで,数理社会学会(JAMS)52回大会と日本ソフトウェア科学会・ネットワークが創発する知能研究会(JWEIN11)との合同大会が信州大学で行われ,私が大会委員長を務めさせていただきました.
 何とか無事に終了することができ,ほっと胸をなで下ろしたところです.JAMSの大会を引き受けたのは2度目で,前回は前任校のときでした.それからちょうど5年.理事の任期を終えたところで即座にお鉢が再び回ってきました.
 JAMSでは,2回以上大会委員長を引き受けられた会員の方もおられますが,私自身はJAMSとASAのMath socセクションとの合同会議2度の運営にも関わっていますし,とりあえず,小規模学会大会の運営という観点から,あれこれと振り返って,文章を残しておくことは何か参考になることもあるかもしれないと思い,ちょっと書くことにしました.

 数理社会学会は,会員数が300人程度の小規模学会です.学会の財務状況については書きませんが,基本的に各大会の運営は別会計で,学会本体とは基本的に切り離されています.もし決算で赤字が出てしまったら,5万円を上限に学会から補填が受けられることにはなっています.しかし,大会参加費はほぼ固定で,懇親会費はそれなりに幅がとれるといった感じです.大会参加費がほぼ固定なので,最低限のことをしっかりやるという感じの運営になります.
 大会への参加者数は,およそ70名~90名くらいです.私が前回引き受けたのは,学会25周年記念大会@東大の次の回,今回は,諸人こぞりて馳せ参じた沖縄大会の次の回ということで,当初の見積もりは少なめにしておくのが適当と思われました.ただ,今回は,JWEINとの合同大会ということで,相乗効果が若干見込めるのではないかという感じもあり,非常に読みにくかったです.実際失敗したと言わざるをえません.まあ,色をつけずに,これまでの最低線と思っているのが安全だったようです.

 JAMSの場合,大会委員長に求められていることは,大会会場の確保,報告要旨集の印刷,当日の受付や会場係などのアルバイトの統制,懇親会の会場の確保とメニューの決定です.(必要な場合は,弁当の手配もあります.)
 前任校で引き受けたときには,これらの仕事に対して,院生を一人ずつ割り当てました.これだと,適宜指示を出すだけで,こちらはおおかた左うちわでしたが,さすがに,今回は院生なしの状態で,全てを一手に引き受けるのはたいへんでした.それでも,学部生から一人事前準備と当日の統括をしてくれる学生を募り,懇親会のメニューと弁当のメニューの決定を任せました.こちらからは,どちらについても,「信州らしいもの,脂っこくないもの」の2つを徹底するということでした.結果的に,多くの方に地のものを楽しんでいただけ,味もまずまずということで喜んでもらえたと思います.細かいことで言えば,大会前々日くらいに,大学の門の向かいのコンビニの店長に,学会期間を知らせてちょっとだけ人がふえるかもしれないよと伝えました.当日午後に聞いてみると,少しだけ高めの弁当を仕入れたとのことで,実際そういうものが売れたとのことでした.
 大会会場の確保については,近年,多くの大学で会場の貸出にお金を取るところが増えています.実際,今回もそのケースでした.実は,今回借りた教室は,経済学部の所有の教室があり,そこでは,場代を支払うことになりました.また,支払は事前の支払だったので,その分は一時立て替えることになりました.
 報告要旨集の印刷については,今回は,やや特殊な状況がありました.それは,JWEINは,ネットワーク関係の研究会なので,カラーの図があった方がよいということでした.そこで,当初,報告要旨集のカラー刷りを検討しましたが,モノクロ印刷と比べてカラー印刷は相当に割高になることから,それは諦めました.次善の策として,要旨集はモノクロ印刷とし,さらに,CD-ROMで同じ要旨集を配布することにしました.実際,この方がずっと安くなることがわかりましたので,そのような方法を採りました.CD-ROMの中身は,報告要旨集の内容を1つにまとめたPDF(コピペができないようにパスワード保護したもの)を業者に頼んで大量に焼いてもらいました.
 報告要旨集について言えば,今回から,報告要旨集の原稿をプログラム順にまとめる作業を,研究理事にお任せすることができるようになり,それはたいへん助かりました.ページ番号を入れる作業はJWEINの方でやってもらいました.したがって,大会委員長としては,それを印刷とCD-ROM焼き付けに出すだけとなり,楽になりました.これは,大会を引き受けやすくする,よい方策であったと思います.
 さらに,報告要旨集の印刷は,学生の準備を手伝ってくれる学生に安いところをウェブで探ってもらいました.そのとき,形式としては,中身は上質紙でモノクロ印刷,表紙・裏表紙は「レザック」という紙を指定,サイズはA4,綴じ方は無線綴じ(くるみ製本),必要部数とページ数がいくらということを指示しました.20件ほど見積もりを取ってくれ,その中で信頼が置けそうで安いところを見つけました.実際,見本を送ってくれて,質的にも十分であると判断し,そこに発注をかけました.ウェブ上での取引でしたが,満足のゆく結果だったと思います.
 CD-ROMの焼き付けについては,私の方でウェブサイトを検索して数件,安くてよさそうなところを見つけました.実際には,タイトルの印字の時に,向こうにはデザイナーがいないことがまるばれで,ちょっと手間がかかりましたが,まあまあふつうな感じのものができました.悔やまれるとすれば,ファイル名をもうちょっとちゃんとしておけばよかったかなということでしょうか.まあ,しゃーない.
 当日の学生アルバイトについては,大会の1ヶ月くらい前に研究室のMLで募集しました.なので,学生はみんな社会学の学生でした.もし足りなければ社会心理学研究室にお願いしようかと思っていましたが,何とか人数は揃いました.
 募集以前には,研究理事から平行セッションが2つになることを確認し,受付・会場・休憩室・案内の担当に必要な人数をあげて人員配置表を作りました.そして,それをもとに必要数だけアルバイトを募集しました.なので,かなりかつかつの状態で,当日来ない人が出てきたら,即アウトという状態でした.まあ,無事で何よりだったと言うほかありません.裕福な学会だと,支度金がふんだんにあったりするので,アルバイトを特定の場所に貼り付けたり,ある程度余裕を持って遊ばせておける人員配置ができるのだと思いますが,小規模学会ゆえの難しさを感じました.
 アルバイトが当日きちんと動いてくれるかどうかは,心配でした.何せ,院生がいないので,学会とはどういうものかを知っている人がいないということです.なので,6ページにもわたる「アルバイトの手引き」を丸一日がかりで書いて,それをMLに流し,事前に必ず読んでくるようにと言いました.それでも,書き落としているところや,指示がきちんと伝わらないところがありました.まあ,それでも,JAMS初日の朝の受付あたりで多少の混乱があったものの,まあ,まずまずの感じで仕事を進めてくれました.なお,手引きを書くに当たっては,どの人がどこに配置され,どういうふうに移動していくのかを考えながら,そのときどきでどんなふうに動けばよいのかを想像し,各人が流れを感じながらやっていけるように心がけました.たとえば,弁当がいつ頃届けられるので,支払をどうするとか,ポスター用のパネルがいつ届くので,いつ設置するとか.なので,内容としては,受付・会場・休憩室・案内の仕事の説明と,時間の流れに沿った移動の仕方の2部構成となりました.結果的に,これで学生たちは,私がいなくてもてきぱき動いてくれたので,一日がかりで手引きを書いてよかったと思いました.

 今回は,松本市観光コンベンションセンターにたいへんお世話になりました.松本駅に掲げられていた学会大会の横断幕に気づかれた方も多かったでしょう.あれはコンベンションセンターに作っていただいたものでした.他にも,弁当の業者の紹介をしてもらったり,(結局使わなかったけど)懇親会の場所やケイタリングの候補をあげてもらったりしました.また,100人以上の集客が見込めるので,その人数に応じた資金的な援助(赤字になったときの補填)もいただきました.
 コンベンションセンターの存在に気づいたのは,駅に横断幕が時折かかるので,そのもとをたどっていったらそこであったというわけです.すでに動き出していた応用心理学会の準備をしていた同僚のH先生もコンベンションセンターにコンタクトをされていたので,情報をいただきながら進めていきました.各地にコンベンションセンターないし類する団体はあると思います.学会開催を引き受けられた方は,一度学会開催に際してコンベンションセンターにコンタクトを取ってみられてはいかがでしょうか.

 この文章を書き始めてはや10日ほど.まだまだ書きたいことはありますが,思いついたら追記していきます.ひとまずここで公開したいと思います.少しでもJAMSや小規模学会開催のお役に立てればと思います.
 先日(8月24日(水)),サイトウ・キネン・フェスティバル松本のプログラムの1つである「武満徹メモリアルコンサート XVI - ピーター・ゼルキン ピアノ リサイタル -」を聴きに行った.武満徹のメモリアルコンサートは,一昨年に次いで2回目だった.
 顔写真からそうじゃないかなと思っていたのだけど,やっぱりピーター・ゼルキンは,ルドルフ・ゼルキンの息子だった(プログラムにて確認).ピアノの音色は,クリアながらも厚みがあり,曲によって音色の使い分けをうまくやっているなという印象だった.

 1階席のやや前方,ステージに向かって中央からやや右手という辺りで聴いた.武光特有の間の取り方があるが,ピアノからの直接音の余韻と,ホールの残響とがブレンドされて,とても面白い音楽体験ができる何とも不思議な感じの位置だった.

 正直告白すると,この日の武光の曲については事前の予備知識はなしだった.素人同然で聴いたことになる.しかし,一音一音,一間一間が心まで染みわたってくるような感覚を覚え,深く感銘を受けた.強いて言えば,選曲の関係からか,曲種が類似していて,やや単調な印象もあったが,全体として非常に深みのある演奏を味わえた.ほとんど目をつむったまま聴いていた(寝てはないです).時折時空を切り裂く強打でハッとしながら.
 後半のベートーベンの「ディアベッリの主題による33の変奏曲」は,1時間にわたる演奏だが,各変奏(というより変容ですね)の表情の切り替えがはっきりしており,意図の伝わる好演だった.

 終わってみると,心浮き立つような華々しい感動ではなく,心にジーンと来る感動で,しばらく言葉を失ってしまった.

 最後に聴衆に一言文句を言うとすれば,武光の曲は,間が重要.そこで咳き込んだりされると興ざめもいいところだ.今回は,そういうことが非常に多くて鬱陶しかった.曲間はともかく,曲中の間で咳をするのは勘弁してほしい.気にしすぎると余計に咳き込んでしまうのだろうけど,咳を抑える練習でもしてから来てほしかった.なかなか難しい注文ではあるだろうが.


 拙著『中越地震被災地研究からの提言』を,ようやく出すことができました.

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 若干の裏話をば.

 私はこれを出せて,今までインタビューをさせていただいた方に,ようやく恩返しが(多少とも)できたという思いでいっぱいです.
 私がやろうとしていたことは,中越地震の復旧・復興の記述研究ではありませんでした.むしろ,「一般的に」震災の復旧・復興においてネットワークはどう変化するのかということに関心がありました.ですので,私はインタビューにいく先々で,「みなさんにお返しできることはありません」が「今度何か大きな地震が起きたら,役立たせたいただきます」とお断りを入れつつ,お話を聞かせてもらっていました.一度だけという方もいましたが,数年にわたり,何度もという方もいました.
 昨年くらいから,ひとまず中越での研究は一段落し,私は次の研究へと舵を切り始めていました.私は自己認識としては,社会ネットワークの研究者であり,災害社会学の研究者ではないと思っていましたから,ネットワークの観点から,別の研究課題に取り組もうとすること自体は自然な流れのように思っていました.
 しかし,その矢先に東日本大震災が起こったのです.今,やりかけた研究があるのだけど....とりあえずそれは一時中断.インタビューに答えていただいた人たちとの約束をきちんと守るためにも,自分の知りうる範囲でいいから,一般的に,しかし具体的に,速やかに研究成果を還元すべきときが来たなと思いました.
 とても,これで十分という内容ではないと思います.何人もの共同研究ではなく,あくまでも私一人でやっていた仕事ですから,包括性という意味ではきわめて限定的であると言わざるをえないと思います.しかしそれでも,あえてこれだけは出そうと思いました.
 東日本大震災から数日後,社会学者たちは次々に考えを述べ始めていました.主として政府に対して.しかし,意外にも,社会学者が被災した人々一人一人に呼びかけることは,ほとんどなかったのです.せいぜい,(直接にはあまり関係ありませんが)「買い占めはやめましょう」といったようなことばかり.被災者一人一人に対して何でこんなに社会学者は無力なのかと.そして,私ははたと気づいたのです.社会学的な研究をもとにして,被災した一人一人,そしてコミュニティを対象とした本はほとんどないのだと.そういった本を書くことが自分に課せられた使命ではないかと思い始めました.被災者は,以前の被災者からサバイブするためのノウハウを何も伝えられておらず,いつも一から被災者であることを繰り返し,そしていつも同じ落とし穴で繰り返し失敗するのだと.東日本大震災の規模は大きく,中越地震の経験が直接役立たないこともあるかもしれません.しかし,中越地震でのノウハウの記録を残しておきさえすれば,それをベースにして考えてもらうことはできるのではないかと思いました.それが,直接的な中越でお世話になった人々への感謝の表し方ではないかと.社会学者には,こんなものは社会学ではないという批判は浴びるだろうと想像しています.しかし,今回はそれでもよいと思っています.社会学者としてのリベンジはまた別の機会にでもしたいと思います.
 ところで,書き始めてすぐに思いました.これは,私の師である髙坂健次先生が「ミドルマンのすすめ」(髙坂,2000)で素描されたミドルマンの仕事そのものではないかと.ミドルマンとは,社会学者とクライアント(一般の人々)との橋渡しをする存在とされています.その仕事の一部は,社会学の知見を一般の人々の実践に使える形に翻訳することです.今回の場合には,中越地震研究で得られた知見を一般の人々にわかりやすい提言という形にすることです.「ミドルマン」という言葉を作ったのはラザーズフェルドのようですが,彼はミドルマンを1つの独立した職業であると考えていたようです.社会学者とクライアント,クライアントと社会学者との間を行ったり来たりして架橋することは,1つの職業として成り立つほど難しいということのようです.逆に言えば,そんなに難しいことだから,特定の領域においてはそのような存在がいなかったということもあるでしょう.それが今回十分にできたかどうかについては,正直なところあまり自信はありません.何せミドルマンとしては習作ですから.しかし,ここは謙虚に東日本大震災の被災地での評価を伺ってみたいと思っています.社会学者としては具体的にしたつもりでも,現場では抽象的すぎて使い物にならないという評価もありうると思うからです.ここはまな板の上に乗って,いつ切られてもというつもりで臨みたいと思っています.
 ともあれ,私としては,これで中越地震の被災地でインタビューを受けて下さった方々に何とか恩返しすることができたのではないと思っています.最後に栃尾の人々に重ね重ねお礼を申し上げます.
 ようやく,拙著『中越地震被災地研究からの提言』が刷り上がってきました.その表紙は,ブナの大木の写真です.ブナの写真を使うという提案は,ハーベスト社の小林さんからのアイディアでした.私は即座にこの提案を受け入れました.ブナは,東北を代表する木の1つです.ブナの木の写真を使うことで,中越地震の研究で得られた知見を,東日本大震災の被災地にも届けたいという思いが伝わるのではないかと思ったからです.
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 しかし,中越とブナとはつながらないと思われた方もいるかもしれません.しかし,私にはそれに対する答えもあります.私が取材に入っていた,旧栃尾市の被災地の1つである繁窪地区.ここでは,中越地震以前から,「にいがた緑の百年物語」という緑化のための県民運動に初期から参加していました.ここでは,休耕地を利用して,ブナの木の植樹が行われていました.まだ植樹されたブナの木は小さく,この表紙にあるような巨大な気になるには,何十年もかかります.しかし,ブナの木を植えることで,次第に山の保水力が高まり,それが,当地のもろい地質を補い,田畑を潤す水を供給することになるようにとの住民の思いが込められているのです.
 このような意味で,ブナの木は,中越地震の被災地と東日本大震災の被災地をつないでいるのです.
 いつか,太いブナの木のような復興が成りますように.

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